(もう限界だ)
オレは、ぼろぼろのヨレヨレ。擦り切れ、色あせ、型崩れ。引退は時間の問題だ。それなのに…。
あーちゃんは、オレをムギューッと抱きしめた。そして…。
「今日も頑張るよ、あたし」
そういって、オレに荷物を詰め始めた。オ、オレは、あーちゃんのリックサック。
(梅干し入りのでっかいおにぎりが2個にバナナ。これがあーちゃんの今日の弁当か)
あーちゃんは、早起きをして、炊き立てご飯で弁当を作り、のこったご飯に納豆をかけて朝ごはん。
インスタントだがわかめの味噌汁も飲む。
ご飯をちゃんと食べるというのが、東京へ来るときのお母さんとの約束だからだ。
弁当のほかに、着換えのシャツとズボン。ノートに教科書に筆箱。タオルとティッシュと携帯電話と小銭入れと水筒。
「お父さん、私を守ってください」
そういいながら、あーちゃんはオレの口のひもをギューッと結んだ。
今日もオレは、あーちゃんを守る。そう、オレはあーちゃんを守るためにここにいるんだ、あの日から。
あの日。
気が付いたときはもう車は水に飲まれていた。車の中に満ちてくる水に逆らって、あーちゃんのお父さんは、精魂込めて車の窓ガラスをぶち割って、窓からあーちゃんを押し出した。
(何とかお前は助ける)
オレは、あーちゃんが背負っていたリュックの肩ひもを伸ばして、手に触った木の枝に引っ掛けた。その時!
車はずぶずぶと川の底へ引き込まれて、流されていった。
「お父さん、お父さん助けてー!」
あーちゃんの叫びに応えて、オレはあーちゃんのお父さんになったんだ。お父さんの心を持ったリックサックに
フリーマーケットで買った誰かさんのお下がりのピンクのリックサックなのに。
お父さんが死んで、あーちゃんのお母さんは、一人で子供三人を育てることになった。
「でも、あーちゃんだけでも助かって良かった。このリュックはあーちゃんの命の恩人だね」
そう言って、あーちゃんのお母さんは、あーちゃんとオレを抱きしめてくれた。
(うーん、これからもみんなを守ってやるぞ!)
と、父親気分で決心したところで、リックサックのオレにできることは、荷物を抱えていることだけだが。
あーちゃんの弁当と着替えを抱えて、あーちゃんの背中でオレは揺られる。
午前五時。
あたりはまだ暗い。
自転車をこぐあーちゃんの息が白い。
「おはよーございまーす!」
あーちゃんは、元気よく勤め先の弁当工場の玄関を入った。
弁当工場の朝は、戦場だ。スーパーの開店時間に間に合うように、各種の弁当を仕上げなくてはならない。
「よーし、今日もみんな頑張ってくれ。よろしく」
三時起きでご飯を仕掛けておいた社長の一声で、8人の従業員たちは一斉に動き出した。
あーちゃんは「助六ずし」の稲荷の担当だ。
黒板に書きだしてある注文数を確認して、あーちゃんは作業台の前に立った。
おれは、入口のハンガーにかけられて、あーちゃんの仕事ぶりを応援だ。
「350個。8時までに上げるよ」
あーちゃんは、勤めて2年半。稲荷を詰めさせたら工場一の腕前だ。
すし飯の入ったバットを右前に置き、左まえに煮あがった稲荷の皮の入ったボールを引き寄せ、さあ、スタートだ。
リズムよく体を揺らしながら、ご飯を軽く握り、稲荷の皮に押し込み、くるりと丸めて形を整える。素早く正確な動作だ。
9時半に各種の弁当をトラックに積み終わり、後かたずけをして、11時に作業は終わる。
1日6000円の仕事。25日勤務で15万円。家賃と光熱費と携帯料金を払って、定時制高校の費用を払って、食費と小遣い。それでいっぱいいっぱいだが、あーちゃんは節約上手。3万円を弟たちのために仕送りをしている。
帰り支度を終えて、あーちゃんがオレをハンガーから外し肩にかけた時。
「ほらほら、忘れもの。持っていきな」
そういって、油あげの煮方担当の細井のおばさんが、破けた味付き油揚げを入れたビニール袋を差し出した。作業中に出たはんぱ物はもらってよいことになっている。
「ほーら、こっちも持って行って」
幕ノ内弁当を作っている佐々木さんもビニール袋を渡してくれた。卵焼きとから揚げが入っていた。
「これは、家で作ってきたのよ」
と、渡してくれたのは、ほうれん草の胡麻和えだ。佐々木さんは野菜を作っている農家だ。
「ラッキー、今日もごちそうだ!」
あーちゃんの声が弾んでいた。
「ほらよ!一杯飲んで行きな、これからレッスンなんだろう」
そういって、コーヒー牛乳の入った紙コップを渡してくれたのは社長さん。
レッスンというのは、モダンバレーのレッスンだ。あーちゃんは、ダンサーになるのが夢なんだぞ。それで、朝早くから工場で働いて、午後はレッスンに行って、夜、定時背の高校へ行っている。
手足が短いのは、父ちゃん似。低い鼻は母ちゃん似。ダンサーは難しいと思うんだけどな。
(好きなことのために頑張って生きてるんだ、オレは応援してるぞ)
「また、どっかで踊らないのか?みんなで見に行くぞ」
「そうよ、あーちゃんは私らのアイドルなんだからね」
「応援してるよ。あんたのダンスを見ると、気が清々するのよ」
あーちゃんは、工場の人気者だ。
「12月にモールでパレードがあるんですって。その時踊らせてもらえるかもしれない」
あーちゃんは、前にもショッピングモールのパレードで踊ったことがある。
「また、ピエロかい?」
「はい、前回のピエロのダンスが評判良かったって先生がいってました」
「あれは、かわいかったよ。だぼだぼのピエロの服着て、くるくる側転していくやつね」
(そうだ、あれは可愛かった。上手かった)
「あーちゃんもそろそろ売れてきたんだし・・・」
「うそー!売れてなんかいません」
「うれてなくても、そのリュクサックはだめだよ。ここへ来るだけならいいけど、モールとかじゃ、いくらなんでもみすぼらしいよ。新しいの買ってやる」
社長さんは、前からあーちゃんのボロになったリックが気になっているんだ。オレも同感。
あーちゃんは、急いでオレを背負うと、逃げるように工場を飛び出した。
そして、自転車に飛び乗って…。
「このリュックはお父さんの形見。これが良いの」
ダンススタジオへ向かうあーちゃん。
「このリュックと一緒に、ニューヨークへ行くんだよー!」
(おー!あーちゃんの夢はでっかいな。うん)
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