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長編
モモちゃんのさがしもの

その1 かぜしろ号

 「モモちゃん、ジャンバー、着ていきなさいよ。まだ寒いからね」

 おばあちゃんの声をせなかに、モモちゃんは、玄関からすっとんでいきました。遊びにい

く時いつも持っていく、リュックにつけた小さなゴリラ人形がかたかたゆれます。

 今日は学校で、いやなことがありました。

 なかよしのはなきちゃんとけんかをしてしまったのです。公園であそぶ約束をしていたの

に、公園に行けなくなったといわれたのです。

 「あのね、ゆうちゃんとゆうちゃんのママがくるんだって。ほら、ママどうし仲良しでしょう。

まだ寒いし、公園はだめっていうの。家の中でトランプしたり、お茶しようってことになった

の。モモちゃんも来る?」

 とっさに頭をふってしまいました。

 「前から遊ぼうって約束していたのに。うそつき」

 「なんでそんなにおこるの、もう、モモちゃんのおこりんぼ」

 二人はツンツンして別れました。

 

 モモちゃんは、つまんないなと思いながら、

 歩いていきます。胸にかけた小さな木彫りのペンダントにさわりました。モモちゃんの一

番たいせつなものです。

 (はなきちゃんにさそわれた時、どうして、ことわったのかな。いまごろ、何してあそんで

いるんだろう。おしゃべりしながら、お菓子食べたり、ジュースのんでるかな)

 

木の葉の森公園につきました。

はるとくんと、北浦くんがたこあげをしていました。北浦くんのたこには、大きな目玉みた

いな黒い丸が二つついていました。

はるとくんのたこは、トンビそっくりの形をしていて、茶色でした。

 風にのって、気持ちよさそうに空をおよいでいます。

 モモちゃんは、公園の入り口でしばらく見ていました。すると、はるとくんのたこが下に落

ちてきました。

 はるとくんは、糸をひっぱたり、ゆるめたりしていましたが、とうとう、たこは地面に落ちて

しましました。

 モモちゃんは、かけよっていいました。

 「わたしにやらせて、あげてあげるから」

 「ゴリラモモだ。だめだぞ。これはおれのたこ」

 ゴリラモモといわれても、いつもなら平気でした。でも、今日はムカッとしました。

 モモちゃんは、はるとくんのたこ糸をとろうとしました。

 はるとくんは、くるりとうしろむきになり、たこをかかえて、走って行きました。

 「キャー、ゴリラモモからにげろ」

 北浦くんもにげていきました。

 (あーあ、つまんない) 

モモちゃんは、ポケットに手をつっこみます。

がさがさっとしたものにさわりました。出してみると、おり紙でおった紙ひこうきでした。

友達と遊んだ時、つくったものです。

 (みんなでひこうきに名前を書いて飛ばしっこしたっけ) 

はなきちゃんが「ゾラゾラ号」、ゆうちゃんは「あげは号」、あかりちゃんは「かわせみ号号

」と名前を書きました。

モモちゃんは白のおり紙でつくったので、「かぜしろ号」と書きました。

あかりちゃんちの広いリビングで、どのひこうきが長く飛んだか競争しました。廊下まで飛

んだり、ピアノの上にのったり、すぐ落ちたのもありました。いろんなことを思い出します。

 今、手の上の紙ひこうきはクシャクシャになっていました。

 モモちゃんはていねいにしわをのばします。

 そして、飛ばしてみました。

 「とべ!かぜしろ号」

 かぜしろ号は、少し飛んでから、すっと落ちてしまいました。

モモちゃんはあきらめません。アイロンをかけるようにすみずみまで指の先でしっかりと

のばしました。

 「よし」

 モモちゃんは、ひこうきを高くかかげて走ります。

 「そーれ、かぜしろ号」

 空高くにむけて放ちました。

かぜしろ号はぐんぐん高く飛んで、林の奥へはいっていきました。

モモちゃんはあわてておいかけました。きょろきょろみわたしますが見つかりません。

林には、はだかの木々が空にむかってすっくすっくと立っています。

 (あれ?)

大きなさくらの木の枝に、白いものがひっかかっていました。

 モモちゃんの紙ひこうきでした。

モモちゃんは木に登ります。木のこぶに足をのせて、また次の枝の根元によじ登り、時

々、ずるずるっとすべったりしながら、やっとのことで、紙ひこうきに手が届きました。

そっと紙ひこうきをつかみます。どこもやぶれていませんでした。ほっとしながら左手にの

せました。

 「ノッテ、ノッテ、モモチャン」

 紙ひこうきが小さい声でいいました。

モモちゃんはびっくりして、紙ひこうきを見つめます。

紙ひこうきは、ゆさゆさっと体をゆらすと、うきあがりました。すると、みるみるうちに、お風

呂場のバスマットに描いてある絵のひこうきくらいの大きさになりました。

 「ハヤク、ノッテ」

 モモちゃんの体がふわりとうきあがり、あっというまに、ひこうきにのっていました。

 「イイ?シュッパーツ」

 ひこうきは、そういうと飛びはじめました。

 (どうして?なんで?)

 考えてもわかりません。

 「シッカリツカマッテテ」

 モモちゃんはもう考えるのをやめました。

 すごい風です。でも少し飛ぶとなれました。

下に畑が見えます。池も家も、パパがのりおりする駅も。おもちゃみたいに小さく見えま

す。

冷たい風が顔にぴしぴしあたります。どこまでも真っ青な空が広がっています。

大きく息をすいこみました。心がぐーんと広がっていくようです。わらいがこみあげます。

 はなきちゃんやゆうちゃん、ママたちが楽しくおしゃべりしていることなんか、どうでもいい

ことに思えてきました。

 ひこうきは、青空をきりさき、ぐんぐん飛んでいきます。どのくらい飛んだでしょうか。

 「ガタン」

モモちゃんの体がゆれて、前につんのめりました。

見ると、ひこうきが下を向いています。

 「あっ、たいへん、左のつばさがおれてる!どうしよう」

ひこうきは、左にかたむきながら落ちていきます。

「こわいよう」

モモちゃんは、さけびながら、体をおりたたみ、ひこうきにしがみつきました。

下の木々がだんだん大きくせまってきます。

 「死んじゃう、助けて!」

 モモちゃんは、目をつむり、胸のペンダントをぎゅっとにぎりしめます。

 「ドン」

 体ごとどこかになげだされました。あまりのいたさに、頭がぼうっとしました。

モモちゃんは、そのまま死んだように、はらばいになっていました。

 どのくらいそうしていたでしょうか。

やっとのことで、両手をついて、首をもちあげ、そっと目をあけました。

そこは、見たこともない場所でした。

うっそうとしげった森の中。木々の間に、オレンジや赤色、黄色や緑色の大きな果物が

たわわにぶら下がっています。

色とりどりの原色の花も咲いています。シダや肉厚の葉っぱが地面いっぱいをおおって

いて、そこにモモちゃんは、たおれていました。

じっとりした空気、草や花のにおいがたちこめています。まるで温室の植物園にはいった

みたいでした。

体のあちこちが痛みます。見ると、ジーパンの右のひざのところがやぶれて、血がでてい

ました。両足が自分のものでないように、こわばってうまく動かせません。

その時でした。

 「ウオーン」

 「ガアアオ」

 動物の鳴き声がかすかに聞こえました。

モモちゃんは、痛いのも忘れて、体を起こして、目をこらしました。

木々のすきまから、なにかがじっとこちらを見つめているような気配がしました。

 (あっ、ここは、ジャングル。熱帯のジャングルだ)

あのうなりごえはトラやライオンかもしれません。

 (はやくにげなくちゃ)

 あせって、たちあがろうとしますが、足に力がはいりません。へなへなとすわりこんでしま

いました。

 動物たちのうなり声が、だんだん近づいてきます。

モモちゃんは、つばをのみこみながら、首からぶらさげた木彫りのペンダントをにぎりしめました。

 「ガサッ」

モモちゃんのすぐうしろで、なにかが動きました。首すじに熱い鼻息がかかります。

 「だれか、助けて!」

モモちゃんは大声でさけびました。   

 
 
 
その2  

 モモちゃんの心臓は止まりそうになりました。でも、勇気をふりしぼってふりむきました。

 そこには、パパくらいの大きさの濃い紺色の毛をしたゴリラが立っていました。

 モモちゃんを見て、にっとわらいます。どこかで見たことがある顔。茶色い顔。すっとぼけ

た丸い目。地面につくほどの長い腕。もしかして、もしかして。

 モモちゃんは、そばに投げ出されたリュックをたぐりよせました。つけていたゴリラ人形が

ありません。

 「モモちゃん、ぼく、ゴリタだよ。落ちた時、はずれちゃった」

 「あんた、どうしてこんなに大きくなっちゃったの?」

 その時「ガオッー、ガッ」

 動物のなき声が近づいてきました。

 「はやくにげなきゃ」

 ゴリタはモモちゃんの手をひっぱります。ジャングルの中は歩きにくいたらありません。足

がすべり、つるに体をとられます。振り返ると、トラの背中が木の間にみえかくれします。黒

と黄色のしましま模様。とがった牙。トラは鼻にしわを寄せてモモちゃんを見つめます。

 「もうだめ」

 モモちゃんがさけぶと、ゴリタがモモちゃんを片手でひょいとだきあげました。

 「ほら、にげるよ。ぼくにしっかりつかまってな」

 からみあった植物、たおれた木、大木からたれ下がった太いつる。

 ゴリタはヒョイヒョイと走ります。トラはうなり声をあげながらなおも追ってきます。とうとう追

いつかれてしまいました。トラはモモちゃんをじっと見て、よだれをたらしています。

 「食べられちゃうよう」

 モモちゃんがいうと、

 「だいじょうぶだよ」

 ゴリタが目の前の木によじ登り始めました。

 「ゴリラって、木登りできるの?」

 五メートルほど登ると、頑丈そうな枝にこしかけました。下では、トラが鼻にしわを寄せて

憎らしそうな目つきでゴリタをにらんでうなります。

 ゴリタもまけずに、トラをにらみかえします。

 しばらくトラはそこにいましたが、やがて行ってしまいました。

 ゴリタはするすると木から降りると、モモちゃんを下におきました。

 「すごい、ゴリタ。すごいよ」

 「てれるなあ」

 ゴリタは手で頭をボリボリとかきました。そしてすぐにまじめな顔になるとモモちゃんをま

っすぐみつめました。

 「リュックからはずれてゴリラ人形からゴリラになった時にね、ミッションがあたえられたん

だ。いい?よーく、聞いて。一つは、モモちゃんを守ること。二つ目は、モモちゃんをここから

無事家に帰すこと。ジャングルから出るにはね、四つのドアを見つけて、通らなければいけ

ないんだ。ドアには鍵がかかってる」

「鍵?」

 モモちゃんは思わず聞き返しました。

「モモちゃんの胸の、その鍵だよ」

 モモちゃんは、ペンダントの鍵をにぎりしめながら考えこんでしまいました。わからない

とばかりです。

「どうしてゴリタはそんなこと知ってるの?ジャングルを出るにはとか、ドアがあるとか・・」

「モモちゃんは、ゴリラモモっていわれているでしょ。だからぼくには、モモちゃんを守る義

務があるの」

 ゴリタは毛むくじゃの胸をはり、右手でボンとたたきました。

「あのチビだったゴリラ人形がいばってる」

「今ではこんなに大きくなったんだ。文句いうなら、ぼく、一人で行っちゃうよ。ずっと家に

帰れなくてもいいの?」

 ゴリタは歩きだします。

「ごめん、ゴリタ。一人になったら、すぐ、トラに食べられちゃうよ」

 モモちゃんは、ゴリタのごわごわした手をつかみました。

「よーし、行こう」

 葉っぱや木々のかげに、ドアがかくれていないか、目をこらします。しばらく行くと、バナ

ナの大きな葉のかげに、なにか板のようなものがちらりと見えました。急いで歩き、葉を

くります。古びた木のドアがあらわれました。ドアのはしに鍵穴があります。

 「モモちゃん、鍵をさしこんでみて」

 モモちゃんは首からペンダントをはずすと、ドアの鍵穴にさしこました。かちりと音がしま

した。ドアをおすと、きしみながらあきました。ドアの奥は暗くてよく見えません。

 「中へ入って」

 ゴリタがモモちゃんの背なかをおします。

 「ゴリタもいっしょでしょ」

 「一人で入るんだ。ぼくは入れないよ。ここで待ってるから」

 「どうして?」

 「ジャングルのおきてだからさ。さあ、早く。トラがきちゃうよ」

 ゴリタはぐいとモモちゃんの背なかをおしました。すごい力です。モモちゃんはあっという

間にドアの中へ。後ろでドアがばたんとしまりました。

 「ここは・・・どこ?」

 見たこともない家の中です。低い天井、壁、床、全部が木でできています。窓からこぼれ

る日の光。窓の外には木々が見えます。ジャングルの木でなく、針葉樹みたいです。芽吹

いたばかりのやわらかい若葉がかすかに風にゆれています。気持ちのいい涼しい風が部

屋の中にふきこんでいました。

 窓際に木のテーブルがありました。女の人が二人腰かけて、うつむいてなにかしていま

す。こちらをむいているのは、白髪の人。背をむけている人は若い女の人です。

二人ともモモちゃんが入ってきたことに気がつかないようです。

 机の上に細かい木くずがいっぱい落ちています。

 二人は一心に手を動かしています。よく見ると、彫刻力でなにか作っていました。

  「できた。やっと、できたわ」

 若い女の人がはずんだ声で言いました。白髪の人がのぞきこみます。

 「まあ、めずらしい。鍵でしょ。わたしは長年、ここで旅行客の方に木彫りを教えてますけ

どね、鍵を作った方は、あなたがはじめてよ。みなさん、花やリスやネコなどを木彫りが多

いですよ」

 若い女の人が布でみがきながらいいました。

 「わたし、鍵が好きなんです。いろんなかたちをした鍵があるでしょ。鍵をさしこむ、ドアが

開く・・・どんな世界にもつながっていて、どんな世界にも行かれるような。森の中、海辺の

ちいさな町、小人の国かもしれないし・・・」

 「楽しいこと。そんな鍵があったらいいのにね。ペンダントにするんですよね。どんなヒモ

を通しましょうか。くさり?皮?それとも麻ひもがいいかしら」

 女の人は立ち上がると、うでぐみをして考えこみました。

 「木だし、麻ひもが合いそう。麻ひもにします」

 言いながら横をむきます。

 モモちゃんは、胸がドキドキしました。写真で見た若いころのママそっくりです。

 「ママ、ママ」

 声をあげて、走りよろうとしますが、足が動きません。

 「あら、風がでてきたのかしら。ドアがあいてるわ」

  白髪の女の人は、モモちゃんの目の前でドアをバタンと閉めました。モモちゃんはいつ

のまにか、山小屋風の店の外にいました。ドアのノブをひっぱっても、あきません。

 「どうして、わたしを見てくれないの」

 モモちゃんは、ドアをどんどんとたたきました。

 うしろから毛もくじゃらの腕にだきとめられました。ゴリタです。

  モモちゃんはゴリタの胸の中で泣きました。

  ゴリタは太い腕でモモちゃんの背なかをなでてくれました。

 うしろをふりかえると、山小屋風の家は消えています。あたり一面、ジャングルがおいし

げっていました。

木々のすきまから夜空が見えました。青や黄色の大きな星がかがやいています。

 モモちゃんは、ゴリタにだかれて、いつのまにか眠ってしまいました。
  

その3

 「モモちゃん、もう起きなよ」

 うす目をあけましたが、またまぶたがさがってしまいます。

  「ほら、モモちゃん」

 肩をゆさぶられ、やっとのことで両目をあけました。

 ゴリタが小さな目を三角にしてにらんでいます。

  「あのね、早く出発しないと、ジャングルから出られなくなるから。さあ、これ食べて」

 ゴリタは左手に持ったバナナをさしだしました。木漏れ日を浴びて、黄色く光るバナナを

見ていたら、モモちゃんはきのうのことを思い出しました。

 ジャングルに突然、山小屋風の家があらわれ、鍵でドアを開けて中に入った

こと。若いころのママが木彫りの鍵を作っていたこと。ママ、ママと叫んだけど聞こえなかっ

たこと。

 ドアがしまってしまったこと。ゴリタに抱かれて泣きながら眠ってしまったこと・・・・。

 モモちゃんは胸がいっぱいになって、また涙がでそうになりました。

 「モモちゃん、おいしいよ。食べて力をつけなくちゃ。今日も歩くからね」

 ゴリタはバナナの皮をむくと、あっというまに一本食べてしまいました。

 モモちゃんは首をふります。ゴリタは鼻の穴をふくらませると、むいたバナナを一本、モモ

ちゃんの口元につけました。

 「いい?ジャングルでは、ぼくのいうことをきくこと」

 低くてこわい声でした。モモちゃんは一口かじります。とろりとした甘いバナナが口中に

ひろがりました。それはのどから体にしみていきました。なんだか元気が出てくるみたい

、あとは夢中で食べました。

 ゴリタは木の根元に置いてあったバナナのふさを持ち上げました。

 「モモちゃんが寝ている間にぼくがとってきたんだよ」

 ゴリタはふさからバナナをはがすと、すごいいきおいで食べます。モモちゃんもつられて、

四本も食べました。

 「こうでなくちゃ。ゴリラモモがもどってきたよ」

 「チビ人形だったあんたにゴリラモモっていわれたくない」

 「今じゃこんなにでっかくなったし、モモちゃんの守り神だ。そんなにいばることないでしょ

 ゴリタは毛もくじゃらの胸をぼんと一つたたいてにっと笑いました。黄色い歯にバナナの

白い果肉がいっぱいついています。

モモちゃんは、

 「きったな」

 指さして笑いました。そして走りだします。

 ゴリタがあとを追いかけます。あっというまにゴリタに追いつかれてしまいました。

 森の中は、じっとりと蒸し暑く、たちまち汗がふき出ます。歩くたびに植物の濃いにおい

がたちのぼります。

立ち止まって、手で汗をぬぐっていた時です。

シュルシュル 後ろでかすかな音がしました。

(なんだろう)

モモちゃんはふりむきました。

ヘビ、巨大なヘビです。肉厚の葉っぱの上をくねくねとはってきます。茶色の体にオレン

ジ色のしま模様。ゴリタのうでより太くて、長い長いヘビです。体がてらてらとひかってい

ます。

ヘビは金色の目でモモちゃんを見あげます。

 「ギャー」

モモちゃんは金切り声をあげました。

 ゴリタはモモちゃんを抱き上げるとバアーッとかけだしました。

 シュルシュルル・・・。音がせまってきます。

モモちゃんはゴリタの胸の毛がぬけそうなくらいにしがみつきます。

 どのくらい走ったでしょうか。

突然、ゴリタの片足が葉っぱにすいこまれました。そして両足ともすいこまれました。地

面に穴があいていて、落ちたのです。

その穴はゆるやかなカーブになっていて、二人はボブスレーに乗っているように、真っ暗

な穴をすべり落ちていきました。

 モモちゃんは、ゴリタにしがみついたまま目をつむっていました。

 何秒だったか、何分だったか・・・。

穴の前方に明かりがさしこみました。あっという間に,

モモちゃんたちは穴の外に投げ出されました。

 まぶしい光が目をさします。やっと、あたりが見えました。

 モモちゃんとゴリタがしりもちをついたところは青々と緑の雑草がはえている土手でした。

見慣れた草、広い空。

一瞬、家の近くに帰ってきたかと思いました。モモちゃんは、空に向かって両手をひろげ

ました。

 「ジャングルを抜け出せた、ばんざい!」

 「そうかなあ。よく見てごらん」

 ゴリタが腕組みしてあごを突き出しました。モモちゃんたちが落ちてきた穴はどこにもあり

ませんでした。一面草がみっしりとはえていました。ずっと見渡すと、そこはまるで野外の

野球場みたいでした。斜面になっている土手の下は平地で真ん中に二階建ての家が一軒

たっていました。家は周りをブロック塀で囲まれています。
 
 正面に木でできた門がありました。

 「あそこにいってみよう。鍵で開くかも」

 二人は土手をすべりおりました。

 ブロック塀とブロック塀の間に木でできた両開きの戸があります。そこにがっしりした鉄の

錠がかかっていました。時代劇に出てくるお侍の屋敷みたいです。ブロック塀と全然マッチ

していません。

 「見て、見て、ゴリタ。これ鍵穴があるよ」

 錠前の真ん中に穴がありました。

 ゴリタがうなずきます。モモちゃんは急いで鍵をさしこみます。錠が錆びていて、うまく鍵

穴にはいりません。

あちこち鍵の向きを変えていれてみます。

やっとのことで、ガチッと鈍い音がして錠が開きました。

分厚い木の門を押して、おそるおそる入ります。

目の前に現れたのは普通の家。広い庭。南向きの家の西にごつごつした木肌の柿の木

があります。

となりはさるすべりの木。枝という枝にピンク色の花が咲いています。

ひまわりや葵の花も咲いています。木々の奥に竹やぶがおいしげっていました。

 「ここ、田舎のおばあちゃんちだ!」

 「そうなのモモちゃん」

 「わたしが四歳の時までいつもパパと夏にきた」

 「それからは来てないの?」

 「おばあちゃん、施設にはいったの」

 モモちゃんは開けはなたれた縁側へと走っていきました。

 縁側のほんの少し前でモモちゃんはころんでしりもちをつきました。

 立ち上がると、縁側に突進。そのたびにモモちゃんは目に見えない何かに跳ね返されま

した。

 縁側へママとおばあちゃんが出てきました。ママは紺地に白の水玉もようのノースリブワ

ンピースを着ています。

 おばあちゃんは白地に青、緑の細い縦じまのブラウスに黒いスカートをはいています。 

 ママは縁側にごろんと横になると、おなかをさすりました。

 おばあちゃんは、ママのそばに足を投げ出してすわりました。

 「ねえ、たまき、赤ちゃんが生まれたら、仕事どうするの」

 おばあちゃんが言いました。

 「続けるよ。育児休暇とって、仕事に復帰するつもり」

 「そう・・・・。ねえ、脚むくんでない?」

 おばあちゃんは、ママの脚をさすります。

 「お母さん、心配性ねえ。大丈夫よ。毎月、お医者さんに診てもらってるもの。赤ちゃん、

順調に育ってるって。楽しみ!」

 モモちゃんの胸ははりさけそうです。大声でママ、ママと呼びます。

 ゴリタがモモちゃんの肩をそっと抱きます。

 「もう、行こう。次の場所へさ」

 「いやだ。ここにいる」

 「あと一つ、家の鍵を開けなくちゃいけないんだよ」

 「いい、もういい。ジャングルから出られなくても、家に帰れなくてもいい」

 「ぼく、もう、知らないからね」

 ゴリタはモモちゃんをおいてのっしのっしと歩き始めます。

 モモちゃんは、両手と顔を見えない透明な壁にくっつけたままです。

 ゴリタはため息をつきながら、また引き返してきました。

 「モモちゃん、やっぱりだめだ。ぼく、ミッションを果たさなきゃ」

 ママとおばあちゃんは立ち上がりました。

 「まだ早いけど、夕飯の用意しようかね」

 「なに作るの?」

 「マーボーなすとひややっこ、きゅうりの酢の物は?」

 「食欲ないけど、赤ちゃんのために食べなくてはね。いい子、いい子、元気で、大きくなーれ」

 ママはやさしい顔をして、おなかに手をあてるとゆっくりなでました。

 「お母さん、雨戸しめようか」

 ママはゆっくり立ち上がると、戸袋に手をかけました。

 「あっ、だめ。わたしがするから、あなたは奥にはいって」

「あら、平気よ。赤ちゃんをかばってばかりいると、弱い子になるんだから」

 がらがらと雨戸が閉まっていきます。

「線香花火、今晩するのね。」

 「今、お父さんが買いにいってるわ」

 「おなかの赤ちゃんもきっと喜ぶわよね」

 やがて雨戸が全部閉まりました。

 モモちゃんは、太い眉をつりあげてバリアの壁をかたくにぎったこぶしでたたきます。

 どこかに入る所がないかと家のまわりを走りまわります。

 夕焼けが遠くの山を赤く染め始めました。家の灯りがぽっとつきました。

 「アーン」

 モモちゃんは地団太ふんで、声の限り泣きながら、ゴリタに体当たりしました。ゴリタはたおれ

そうになりました。

 ゴリタはモモちゃんを必死でだき止めました。

モモちゃんはゴリタの腕の中であばれ、ゴリタの厚い胸をたたきます。

 「せっかくお母さんに、なんで?なんで?いやだよう。はなしてよう。ゴリタ、バリアを破っ

てよう。ゴリタのバカ、バカ。意気地なし」

 「モモちゃん、ゴリラにだって、出来ることと出来ないことがあるの。時の壁のバリアは超

えられないんだ」

 ゴリタは暴れるモモちゃんを体全体で包みこみます。

 しばらくモモちゃんは、ゴリタの腕の中で泣きじゃくっていました。ゴリタは少しずつ静か

になっていくモモちゃんの頭を、「よしよし」「よしよし」といいながらなで続けました。

 「さあ、行こうか」

 ゴリタはモモちゃんを抱いたまま歩きはじめます。 

ゴリタの腕のあいだから、おばあちゃんの家が見えました。涙で家がにじみ、ゆがんで

います。そして次第に小さく小さくなっていきました。

 ゴリタが土手を登っていきました。

「穴はどこだ?ジャングルに帰る穴。おかしいな、このへんだったと思うけどな」

ゴリタはあちこち地面に鼻を近づけてにおいをかぎます。草におおわれているのでどこに

穴があるかわかりません。

「ふんふん、ここだ」

ゴリタは立ち止まり、手で草をかきわけます。

草の下には二人がすっぽりはいるくらいの穴がぽっかりと口を開けていました。

 ゴリタは片足を入れます。モモちゃんは土手の下をもう一度見ました。もう何も見えませ

んでした。また泣けてきました。

 「いくよ、モモちゃん」

ゴリタはモモちゃんを抱いたまま穴に足を入れます。

二人はそのまま真っ暗な穴に吸い込まれていきました。

 光がさしこんできます。まぶしくて目をつむりました。

 「モモちゃん、さあ、着いたよ。もうひとふんばりだ」

 目をあけるとそこはジャングルでした。

  
 
(その4)

 モモちゃんはゴリタにだかれています。

 「二年生でしょうが。一人で歩きなよ」

 「やだ、もう疲れたの。一歩だって歩けないよ」

 モモちゃんは目をとじたままです。

 (このまま、ジャングルから出られなかったらどうしよう。いったいどうなるの。こんな悲し

い目に会うなんて)

 ゴリタにはモモちゃんの気持ちがわかるのか、

 「モモちゃんが、いつもママに会いたいっていってたからだよ」

 「そんなことないよ。一度だってパパや友達にいったことないもん」

 「おさえていたんだ、きっと。ぼくは、いつもモモちゃんといっしょだったから気持ちがぜん

ぶわかるよ」

 モモちゃんは、うれしいような腹がたつような気がしました。

 ゴリタはモモちゃんをだいたまましばらく歩きました。 
 

 「いいかげんにしな!歩け!」

 ゴリタはモモちゃんを、下におろしました。目をあけたら、またジャングル。

 がっかりしたことといったらありません。モモちゃんは木の根っこにすわりこみました。根

っこがぬれていたせいか、ジーパンのおしりから、じわっと水がにじんできます。気持ちわ

るいことといったら。

 (おねしょしたみたい。きっと夢を見ているんだわ)

 「夢じゃないよ。もし夢だとしても、最後まで見なくてはいけない理由があるん

だと思うけど」

 「理由なんてない。そんなものいらない」

 「今までのモモちゃんはどこへ行ったの。いつも、ぼくをリュックにぶらさげて

男の子とけんかして、友達とワハッハと笑ってたモモちゃん。ああ、情けない」

 モモちゃんはキッとゴリタをにらみます。体の奥から熱い炎みたいなものがゴッゴッとわき

あがってきました。それは、体のすみずみ、うでから手先、足のつけねから足の指さきまで

あたたかくしていきます。

 太い眉がつりあがり、目が光りました。

 「やっと、エンジンがかかったか。さあ、行こう」

 「あのね、ゴリタに言われると、ムカッとくるの。あんたに言われたくないって」

 前を歩くゴリタはピンクの舌をちろっと出しました。もちろん、モモちゃん

には見えませんでしたが。

 どこをどう歩いているやら、あまりの湿気とむし暑さに頭がくらくらしてきます。

 ゴリタが木に登ってラグビーボールのような黄色い果物をとってきてくれました。皮が厚く

て手でむけません。

 「むいて、わたしのも」

 モモちゃんがいうと、ゴリタは歯をたてて皮をむいています。

 「自分のことは自分ですること」

 しかたなくモモちゃんも前歯をたてました。少し穴があいたのですーっとすってみました。

甘みがすくなくてあまりおいしくありません。でもおなかがすいていたので、二つもの果汁を

飲みました。

 どのくらい歩いたでしょうか。モモちゃんは果汁のおかげで、元気がでてきました。

 ジャングルの中は光がまばらにしか届きません。

 高い木からなにかがポタリと落ちて、モモちゃんの手のこうにはりつきました。二センチく

らいの黒い楕円けいのゴムみたいな・・・。それは手の上でみるみるふくらみ丸く大きくなり

ます。

 「ギャッー、ゴリタ、これなに?」

 「山ヒルだよ。かしてみな」

 モモちゃんは、指でつまんではがそうとしますがはがれません。ヒルはどんどん太ってい

きます。

「いたいよう!気味悪いよう!」

 ゴリタがやっとはがしてくれました。地面に落として足でふんづけます。地面が赤くそまり

ました。

 「モモちゃんの血をすったんだよ」

 ぞっとしました。モモちゃんの手のこうが赤くなっていました。

 「ゴリタは山ヒルにおそわれないの?」

 「毛がはえてるからね。それにモモちゃんのほうがずっとおいしそうでしょ」

 「もう、やだ!」

 顔をあげると、からみあったツタのしげみのおくに、なにか光が見えます。

 「ゴリタ、あそこ、家みたい」

 二人はしげみのおくへと進みます。ツタの葉をはらいのけると、家がありました。ドアもあ

ります。

 モモちゃんは、かぎをさしこみました。すんなりとドアがあき、玄関へはいりました。二人

はどんどん入っていきます。

 ろうかのおくの部屋から話し声が聞こえてきました。おくは日当たりのいいリビングでした

。フローリングの床に男の人と女の人がすわっておしゃべりをしています。

 モモちゃんはさっきから胸がはれつしそうになっていました。二人は横顔しか見えません

でしたが、わかっていました。パパとママだって。

 モモちゃんはパパとママに飛びついていこうとしましたが、リビングに入れないのです。

ガラス戸もしきりもないのにです。見えないバリアがモモちゃんをさえぎっています。

 「わたしよ!モモだよ。見て見て!」

 ドスンドスンと足踏みしながら叫んでもだめでした。それでもモモちゃんは見えないバリア

にヤモリみたいにぴったりとはりついていました。

 部屋のすみには、ベビーベッド、ふとんがおいてあります。クリーム色の小さなふとんの

柄。くまさんの絵です。モモちゃんが保育園に持って行った同じふとん。ふとんの横には、

産着や真っ白いレースのはおりもの。ブルーやレモン色のスタイ。小さな小さなソックスや

下着。紙おむつやおしりふきのケースも。

 モモちゃんは酸素不足のきんぎょみたいにはあはあと息をしました。

 「男の子、女の子どちらでもいいよ」

 「そうね、お医者様に言わないでって、わたしたちたのんだのよね」

 「ぼくたちの初めての赤ちゃん、どんな顔してるかなあ」

 「あなた似?わたし似?」

 「ぼくじゃないほうがいいよ。ぼくは、じゃがいもみたいだもの」

 「あら、わたし、じゃがいもだーいすき」

 「よかった!名前はどうする?」

 「ほら、これ見て。字画とか由来とかいっぱい書いてあるわよ」

 ママは「名前のつけかた」という本をパパに見せます。

 「予定日は三月はじめでしょ。まだまだ日にちあるから、ゆっくり考えましょう」

 「そうだね、しかし実に沢山あるもんだ。たまき、はな、りか、めぐみ、もも・・・」

 モモちゃんは、ぽろぽろ涙をながしました。そして、ゴリタのうでをたたき続けました。すぐ

そこにパパとママがいるのに、こんなのおかしい!

 「モモちゃん、あそこにいるパパとママはカコなんだ。時はさかのぼれないよ。けむりみた

いに消えてしまうの」

 「今、わたしたちはカコにいるんじゃないの?」

 「ううん、カコをみているだけさ。モモちゃんの記憶の中の時だから」

 「うるさい!むずかしいこと言わないで」

 「かわいそうだけど、事実は事実なんだ。泣いてばかりいないで、よく見ておいたら?消

えちゃうよ」

 モモちゃんは右手で涙をごしごしこすりました。

 リビングの窓の外には、もみじが色づいていました。その根っこには立浪草の

うすむらさき色の小さな花がゆれています。イチョウの葉っぱが金色にかがやいています。

 小鳥の餌台もおいてありました。二羽のキジバトがこちらを気にしながら、えさをついば

んでいました。

 夕陽が部屋を照らしています。どこかのすてきなショールームみたいです。

 「クーちゃん、赤ちゃんが生まれたら、一年は会社休むんだよ。きみはむこうみずだから、

ちょっと心配」

 「わかってます。ジャングルへ行きたいなんて、決して言いませんから。あの絵の彼女み

たいにね」

 ママはリビングのとなりの部屋を指さしました。

モモちゃんはドキンとしました。となりの部屋へいきたいと思いましたが、バリアがじゃま

して一ミリだって中へは入れません。

「ゴリタ、今、ママ、ジャングルって言ったよね。絵って言ったよね」

「たしかに。でも、ぼくたちはこの部屋しかのぞけないみたい」

「もう、ほんとうに、やだ。カコなんかどうでもいい」

「手おくれだよ。ぼくたち、旅をはじめたんだから、さいごまで行かなくちゃ。これは、モモ

ちゃんにとって意味のあることなんだと思う」

モモちゃんは、くやしくて悲しくて、また泣きました。

「さあ、行こう」

 ゴリタに手をとられて、玄関のドアをあけました。そこはまたジャングルでした。

  
  その5

モモちゃんは重い足を引きずって、ジャングルの中を歩いています。夢であったらどんなにいい

かと思いながら。黙り込んでしまったモモちゃんを気遣うように、ゴリタはちらちらとモモちゃ

んを見ます。

モモちゃんは歩きながらゴリタが言ったことを色々考えていました。

「もう出発しちゃったんだから、引き返せないよ。最後まで行くしかない。でないと、ジャング

ルから永久に出られないよ」

モモちゃんは深いため息をつきました。

(たしかに、ゴリタの言う通りだわ。歩いて歩いて、この恐ろしいジャングルからぬけ出よう。

そしたら、きっと家に帰れるはず)

 胸の中にかたい決意がわきあがってきました。モモちゃんは背筋を伸ばすと、大きく息を吸い

ました。

「よし!」自分にかけ声をかけると、歩き始めます。

ライオン、ヘビ、ハゲワシ・・・・なんでも出て来い。下がっていた太い眉がぴんとはってきま

した。

「モモちゃん、いいよ。そうでなくちゃ、やっとゴリラモモがもどってきたね」

「うるさい、ゴリタ。さっさと歩け」

「はーい、了解です」

ゴリタは小さな左目でウインクすると歩調を速めました。

二人はどんどん、どんどん歩いていきました。

気のせいか、木々の高さが低くなり、まばらになってきました。

「アッ」

二人は木の根っこにつまずいて転びました。太い太い根が大蛇みたいにくねくねとはっていたのです。

「やだ、ゴリタ、ゴリラなのにさ」

「モモちゃんだって転んだくせに」

二人は立ちあがりながら、わらいました。

と、ゴリタがまっすぐ前を見つめました。

「あそこ、ほら」

ゴリタが指さします。森のむこうに真っ白いビルがすっくと立っていました。

十回建てくらいあるでしょうか。今までジャングルで見てきた家とは全然違います。

二人は急いで建物に向かって歩きます。モモちゃんは建物の前に立つと、鍵をにぎりしめました

。ビルに鍵を差し込むドアなんてありません。

「はやく、おいで」

ゴリタがモモちゃんの手をひきます。建物の後ろに回ります。そこに大きなガラスの入り口があ

りました。その前に立つとさっとガラス戸があいたのです。二人は顔を見合わせ中へはいりまし。

ホテルのフロントみたいに広いホール。たくさんの人が長いいすにこしかけています。電光掲示

板の数字が光っています。白いユニホームを着た人たちが急ぎ足で行きかっています。

「病院だ」

モモちゃんは丈夫であまり病院にきたことがありませんでしたが、去年、おばあちゃんが入院し

た時、お見舞いにきました。それと同じでした。

ゴリタがまた手をひっぱります。不思議なことに、だれも二人を見ません。

モモちゃんはともかく、ゴリタはゴリラなのに。

「こっちこっち」

廊下の先にエレベーターがありました。ゴリタがボタンをおすと扉がすっとあきました。中に入ると、ゴリタは8というボタンをおします。

エレベーターはあっという間に八階に到着。

「たしか、805だったよ。行こう」

モモちゃんはわけがわかりません。

「モモちゃん、ぼくたち最終章まで旅してきたよ。しっかりね」

勝手に805の部屋にはいりました。

ベッドに若い女の人と赤ちゃんが寝ています。男の人もいます。女の人は赤ちゃんを抱き寄せよ

うとしました。男の人が手伝います。パパだ。たしかにパパです。ということは、ベッドの人はマ

マとわたし。ママの手はわたしを抱こうとするのですが力なくだらんとたれさがりました。それで

もママはやさしくほほえんでわたしの頭をそっとなでました。

「ママ!」

モモちゃんはかけよりましたが、ママが寝ているベッドの手前ではねかえされました。透明なガ

ラスで仕切られているような。手で押してもびくともしません。ジャングルを旅し始めて、山小屋

風の家でママを見た時、おばあちゃんの家で縁側に腰掛けていたママのそばに行こうとした時も、

見えない壁みたいなバリアに邪魔されて行けなかったたことがありました。それと同じでした。

(こんなに近くにママがいるのに。なぜ?どうして?もうママに会えないかもしれないのに・・

・ひどい。ひどすぎる。一度でいいの。ママに抱きつきたい。はなきちゃんもゆうちゃんもママが

いるんだよ。わたし、がまんしてたのに)

モモちゃんは自分とママをさえぎっている目に見えないバリアをたたきました。でも、パパもマ

マも気がついてくれません。

必死でたたき続けながら、涙でかすむ目でパパとママを見つめます。

「モモちゃん。行こう。カコの世界へはいくらがんばっても入れないんだよ」

 モモちゃんは力つきて、へなへなと座り込んでしまいました。ゴリタはモモちゃんをかるがる

と持ち上げると、ごわごわした毛の暖かい胸に抱いてくれました。

ももちゃんはゴリタに抱かれたままエレベーターに乗り、廊下を歩き、病院の外に出ました。

たちまち暑苦しいじっとりした空気がまとわりついてきました。モモちゃんはゴリタの太い腕の

すきまからのぞくと、そこはまたジャングルの中でした。唸り声がすぐ近くで聞こえました。

ゴリタが体を硬くして身構えます。

「ヒョウだ。モモちゃん、じっとしててね」

ゴリタはモモちゃんを抱いたまま片手で木に登り始めます。モモちゃんは恐る恐る下を見ました

木の下に大きなヒョウが前足を幹にかけていました。鼻にしわをよせて尖った牙をむいています

黄色に黒い斑点の毛皮が木漏れ日を受けて光っています。若くていかにも強そうです。モモちゃん

は震え上がり、ゴリタの胸にしがみつきます。

ヒョウがガリガリと爪をたて、体をしなやかにたわませながら木に登ってきました。ゴリタもひ

ょいひょいと上へと登ります。

次第にヒョウとの間隔がせばまってきます。もう木のてっぺんです。逃げられません。ヒョウの

熱い息がかかります。光る目でにらみながら、大きな口を開けて低い声でうなりました。

「ああ、ヒョウに食べられる・・・。やだやだ、家に帰りたい。パパに会いたい。学校へ行きた

い。死ぬのは絶対いや」

はげしく思いました。ふと上を見上げると木のてっぺんに白い飛行機が乗っています。ゴリタは

モモちゃんを両手で抱きかかえると、高々と腕をもちあげ、モモちゃんを飛行機にのせました。

「ゴリタも乗って!はやく!」

「だめだ、ぼくの体重は120キロ。飛行機落ちちゃうよ。一人乗りの飛行機だ」

「やだ、ゴリタ、わたしの守り神でしょ」

「大丈夫、もうジャングルを脱出できたんだから。ぼくの役目は終わったよ。モモちゃんは自分

では気づかずにずっとさがしものをしてたんでしょ。カコへの旅で見つかった?モモちゃんは強い

、これからはぼくがいなくても平気さ。ゴリラモモでなくて、モモちゃんだよ。元気でね」

ゴリタは左目をぱちっとつむりウインクしました。

ヒョウがゴリタの右足に食いつこうとした時、ゴリタはみるみる小さくなり、木の下へ落ちてい

きました。

その時、風がビュービュイーンとふいてきて、飛行機は空高く舞い上がりました。モモちゃんは

目をあいていられません。ぎゅっと目をつむると、飛行機にしがみつきました。

(ゴリタ、ゴリタがいなくなったよお)

胸がつぶれます。目を開けて下を見ることもできません。頭のてっぺんから、足のさきまで、風

にもまれます。モモちゃんはただただ風に飛ばされないように飛行機にしがみついていました。

どのくらい飛んだでしょうか。風が静かになりました。モモちゃんはそっと目をあけました。下

はジャングルでなく、見慣れた景色が広がっていました。駅、川、土手、畑、家も、林もあります

飛行機は林に入っていきます。

ドスーン 飛行機が木に衝突。バランスをくずします。モモちゃんの手が飛行機からはなれ、そ

のまま下に落ちていきました。

 

「ここは?」

気がつくと、モモちゃんは自分の部屋のベッドにいました。

パパのが心配そうに顔をのぞきこんでいます。となりには伊藤内科のお医者さんもいます。

「モモちゃん、気がついたね。よかった。本当によかった」

 伊藤先生がにっこりわらいました。

「家?どうして?」

 モモちゃんの頭は霧がかかったようにぼんやりしています。

「どうなることかと思ったよ。木からおちたんだ。はるとくんと北浦くんが知らせてくれたんだ

よ。モモと紙飛行機飛ばして遊んでいたけど、林の奥へいったきり、帰ってこないって。見にいっ

たら、大きな桜の木の下で倒れていたって」

モモちゃんは必死で思い出そうとします。かかっていた霧が少しづつ晴れていきます。

(そうだ・・・紙飛行機を探しに林の奥まで行った・・・。紙飛行機が木の枝にひっかかってい

たので、木登りしてとろうとした・・・。風がふいてきて飛行機に乗った・・・落ちたとこはジャ

ングルだった・・・大きくなったゴリタといろんな所へ行った・・・ママに会えたんだ)

モモちゃんははっきりと思い出しました。なみだがでます。

「あのね、わたし、ママに会ったの」

パパが心配そうな顔をぐっと近づけました。伊藤先生はパパの肩に手を置くと目配せしました。

伊藤先生がうんうんとうなずいて言いました。

「そうか、ママに会えたんだね。よかったね、モモちゃん」

「ジャングルを歩いたよ。もう大変だったの」

「モモちゃん、あとでゆっくり聞かせてね。今は眠らなくちゃいけないよ」

 モモちゃんははっとして飛び起きようと体をおこしかけます。

「ペンダントの鍵は?マスコット人形のゴリラは?」

「リュックは落ちてたけど、これだけだったよ」パパが泥でよごれたリュックを持ってきました。

ゴリラ人形はついていません。木彫りのペンダントの鍵もありません。

「ほんとにこれだけだった?」

パパが大きくうなずきます。

「アーン、アーン」モモちゃんは泣きました。でも力が入らなくて、小さな声しか出ませんでし

た。ペンダントのこともゴリラ人形のこともパパにも伊藤先生にも話せませんでした。体が重くて

、頭もぼうっとしているのです。

「よしよし、モモちゃん、少し眠ろう。お薬あげるからね。高い木から落ちたのに、骨折も大き

なけがもないなんて奇跡だよ。また明日、様子を見に来るからね」

伊藤先生は笑顔のまま部屋をでました。パパが玄関までついていき、なにか話していました。

モモちゃんの部屋にコップを運んできました。

「さあ、これ飲んで」

パパはモモちゃんの体を起こすと小さな錠剤を一粒、口に入れてくれました。

コップの冷たい水はとてもおいしく、体の隅々にまでしみていくようでした。

「パパ、わたしね、すごい旅したんだよ。しゃべりたいのにしゃべれない」

パパは口に指をあてました。

「残念だよ。でもね、あとでいっぱい聞こう。起きたらすぐね」

パパはやさしく布団をとんとんとしてくれました。

薬のせいかモモちゃんはストンと眠りに落ちました。

何時間も何時間も眠りました。

 

目が覚めた時は次の日の朝でした。ベッドから出ると、カーテンを開けます。まぶしい光に思わ

ず目をつむります。パパが入ってきました。

「おはよう、モモ。痛いところはない?」

パパはモモちゃんの頭のてっぺんから足の先まで目を動かしてじっと見ます。

「だいじょうぶだよ。ああ、おなかすいた!」

階下へ行くと顔を洗い歯磨きもしました。すっきりしていい気分です。

「さあ、ご飯食べよう」

パパはガスレンジからお鍋をテーブルに持ってきました。

「エッ?おかゆ?」

「伊藤先生がね、消化のいいものって」

 モモちゃんは少し不満でした。病気じゃないのに・・・。オムレツが食べたかったのに・・・

でもせっかくパパが作ってくれたのです。おかゆと梅干をぺろりとたいらげました。

「学校へ行かなきゃ」

 モモちゃんが二階へ行こうとすると、パパが言いました。

「今日は休むんだよ。伊藤先生に言われてる。一日ゆっくりしなきゃだめだって。パパも会社休

んだから。あとで買い物に行ってくる。何か食べたいものある?」

モモちゃんはほしいものがすぐに思い浮かびませんでした。

「そうか、やっぱりまだ本調子じゃないね。そうだよな、あんな高い木から落ちたんだもの。寝

ていなさいよ」

パパはモモちゃんの頭にそっと手を置きました。

モモちゃんは自分の部屋に行きました。ベッドに入るとまた眠ってしまいました。ジャングルの

夢を見ました。

ぱっと目がさめました。パパは買い物にでもいったのでしょうか。静かです。

モモちゃんはそっと起き上がるとパパの部屋に入りました。

ジャングルの絵をどこかで見たことを思い出したからです。

パパのベッドの上に一枚の絵が飾ってありました。

小さな額に入った絵。すいよせられるように絵に近づきます。

不思議な絵でした。ジャングルの森の上に月が出ています。肉厚の葉っぱ。生い茂る木々。たわ

わに実った木の実。青やピンクの花。木陰に見え隠れする動物たち。ライオン、ゾウ、ヘビ。木に

止まった鳥。そして、そこに置かれたビロードのソファに髪の長い裸の女の人が横たわっていまし

た。女の人は左手でジャングルの奥を指さしています。

見れば見るほど奇妙な絵です。その時、モモちゃんはあっと思い出しました。

おばあちゃんの家でママがパパに笑いながら言ってたことを。

「ジャングルへ行くなんていいませんから」

この絵はわたしが行ったジャングルだ。ソファーに腰かけて指さしている女の人はママだ。ママ

にちがいない。ママはジャングルに行きたかったのだ。いつかきっと行こうと思ってたんだ。でも

、でも・・・・。ママは死んでしまった。

わたしは、ママの代わりにジャングルへ行ったのかも。木彫りの鍵を作ってくれたこと、ママの

カバンにつけていた小さなゴリラ人形。それをパパがモモちゃんのリュックにつけてくれたこと・

・・。ママのことをしっていたゴリラ人形がなかったら、ジャングルを旅できなかった・・・。

モモちゃんはゴリタとジャングルを旅したことを、はっきりと思い出しました。写真立てのママ

でなく、本当のママに会えたような気がしました。

ゴリタが言ってたっけ。「カコをさかのぼる旅だよ」って。

ママがいないということは、自分なりに納得したつもりでしたが、心の奥深くでは違っていたの

かもしれません。カコの中でママに会えた。ママが若かったころから最後の病院まで。ママはわた

しに自分のことを知ってほしかったんだ。わたしを産む前、産んでからのことを話したかったんだ

わたしが心の奥深くでさがしていたものを見せたかったんだ・・・。

ママは死んでしまったけど、ママとずっとつながっている。わたしの心の中でずっと生きてるん

だ。ペンダントの鍵もゴリラ人形もなくしてしまったけど、もう大丈夫。ママが行きたかったジャ

ングルを旅して強くなったよ。

難しい算数の問題がとけたようなすっきりした気持ちなのになぜか涙が頬をつたいます。

モモちゃんは不思議なジャングルの絵を見つめていました。

 

「ただいま、モモ、焼き芋買ってきたよ」

玄関でパパの声がしました。

「はーい」

モモちゃんは,はんてんをはおると階段を下りていきました。

パパに話そう。ジャングルでのことを。始めから終わりまで。パパならきっと信じてくれるにち

がいない。

パパが紙ふくろをやぶりました。焼き芋のおいしそうなにおいがぱあっとたちのぼりました。