辻邦の棚   短編集
  

 「大きなおはぎ」

 

 「でっかいおはぎだな!》

 と、奇声を上げたのは町会長の鈴木さん

 会合のお茶菓子にと配られたのは、手のひらほどの大きなあんこのおはぎだった。

 鈴木さんの声は続く。

 「俺を殺す気か?俺は糖尿病なんだぞ」

 おはぎを持ち込んだ金井さんが、慌てて訂正する。

 「とんでもない、そんなつもりは」

 「でもな、命がけでも食いたい、このおはぎは」

 という鈴木さんの声に、会場は笑い声に包まれた。

 今日は、「保育園建設断固反対!」の町内会の集まりで、古くからこの町内に住む住民18人が集まった。

 このおはぎは、金井さんの奥さんの手作りだった。

 「田舎から、もち米と小豆が送られてきたので、お口汚しとは思ったのですが、作ってみましたのよ」

 と、金井さんの奥さんが、お茶を配りながら言った。

 「うちの田舎のおはぎは、でっかいんだよ」

 金井さん夫婦は、同郷だとも言った。

 おはぎの話題で、会場は和やかになっていた。

 

 ここは、閑静な住宅街で、比較的地価が高い地域だ。

 問題の保育園は、千鶴子の家の隣の空き地に立つ予定だ。

 お隣に住んでいた倉敷さんが亡くなって、遺族の方が相続税として土地を国に物納したために、国有地として管理されていた。そこに保育園が建設されると発表されたのだ。

 高齢者ばかりの街で、ここの住民は保育園とは縁が無い。

 「子どもの声がうるさい」

 「送り迎えで、車の往来が増えれば危険だ」

 「ともかく騒々しくなる」

 と、保育園建設反対の声が上がったのだ。

 反対の理由の一番は、声にはできないが「高級住宅街というイメージが壊されて、地価が下がる」だ。

 反対運動などには縁のない生活をしている千鶴子にしても、その理由で参加している。息子達に厳しく言われたのだ、「うちは隣だぞ、影響が大きい。断固反対しろ」と。

 

 千鶴子は、手許のおはぎにショックを受けた。

 息が出来ない、心臓の鼓動が激しい。

 「このおはぎ…、あの時のおはぎ!」

 忘れていた記憶が、千鶴子の脳裏に鮮明に浮かび上がった。しかし、嫌な思い出ではなかった。

 

 大学一年生の夏休み、千鶴子はピアニストとして、小さな劇団の地方巡業に参加した。

 あの時代、映画もテレビもあるにはあったが、都会以外は交通の便が悪く生の芸術に触れる機会は限られていた。

 その劇団は「子ども達に、生の感動を届けたい」と頑張っている劇団だった。そこで公演する音楽劇の伴奏者として頼まれたのだ。

 「王子と乞食」という芝居で、双子の様によく似た王子と乞食が入れ替わって様々な体験を通じて成長するという物語の音楽劇で、かなりレベルの高い仕上がりだった。

 音大生とは言っても、千鶴子が生演奏で伴奏を付けるのは至難の業だった。

 「私の実力では無理。頑張ろう!」

 と、巡業が始まってからも練習を積んだ。

 公演は、東北地方の辺ぴな学校の体育館や芝居小屋などで、ピアノがあるところは良いが、オルガンで演奏するところもあった。

 困難は多かったが、喜びも大きかった。

 芝居を観ている子供たちのキラキラした目!

 そして、物語と一体になって、ハラハラドキドキと息を潜めて、歓声を上げて、笑い転げて!

 歌に手拍子で答える様子には、伴走者として胸が熱くなった。
  かけがえのない体験をしていると思った。

 その公演の最終地は、山の上の鉱山の分教場だった。

 講堂の舞台の前にピンポン台を並べて、舞台を広げて公演した。

 「ここで踊るのー、危なっかしいわね」

 と主演の王子と乞食を演じるターコさんとノリコさんが言った。

「あの二人、全然似てなかったのに…」

二人は背丈も体つきも全く似ていなかったが、芝居の中では双子の様に似て見えた。

 辺ぴな分教場だったが、ピアノはドイツ製のスタインウェイがあった。鉱山の持ち主が寄贈したものだった。

 劇団の公演も、社長から子どもたちへのプレゼントだと、校長先生が嬉しそうに言っていた。

 劇を楽しむのは子ども達だけではない。村の皆が楽しんでいた。

 それだけに、村の人たち総出で歓迎をしてくれて、舞台作りから後片付け、お昼のお弁当、夕方の歓迎会と心のこもった交流だった。

 千鶴子は請われるままに、夕食のあと数曲演奏を披露した。

「大して上手くもないのにね」

と、思いだしても恥ずかしかった。

宿泊は、個人の家に、二人三人と泊めてもらったのだ。

千鶴子が止めてもらった家のお風呂は、丸い釜のような五右衛門ぶろで、話には聞いたことはあるが、入ったのは後にも先にもあれ一度きり。

そして、湯上りに、出されたのが「大きなおはぎ」だったのだ。歓迎会で、カレーライスをたっぷり食べていたので、とても食べきれそうになかった。

でも、食べないわけにはいかない。

「苦しかったわよねー。涙が出てきちゃった」

思い出すと、笑いが込み上げてきた。

 

「谷川さん、嬉しそうですね」

「そんなにおはぎがおすきなの?」

「いやー、このおはぎにはインパクトがありますよ」

と、声を掛けられて…。

千鶴子は、一人で思い出し笑いをしていたのだ。

「あのー」

腰を上げながら、千鶴子が会場の皆に言った。

「私、保育園が建つの嫌じゃありませんの。子どもの声が聞こえるの嫌じゃありません」と。

 会場は、一瞬静まり返った。

町会長さんが、言った。

「その話は、これか皆さんと…」

千鶴子の向かいに住んでいる吉田さんも声を上げた。

「私も、反対するほど嫌じゃないですよ。みんな昔は子どもでしたからね。このおはぎを見て思い出しました」

「死んだおふくろをおもいだしたよ」

「保育園建設断固反対!」運動の風向きは、変わっていくようだった。


   
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