「料理の達人」
「良かったら、うちで夕飯食べて行ってよ」
母の葬儀の帰り道、私が運転する車に同乗していたちーちゃんが私達を誘ってくれた
ちーちゃんは母の妹で、棟続きの「タンポポ子どもクリニック」の院長先生だ。
「えー、こんな忙しい時に、ご飯の用意したの?」
ちーちゃんの家は、いつ行ってもご飯をご馳走してくれる。でも、さすがにこの時に…と私はびっくりした。
先週の日曜日、母が突然倒れてから我が家はパニック状態。ちーちゃんにしても、自宅でやっている「クリニック」を閉めないまま、うちの子供たちの世話から、母の病院への見舞いと慌ただしかったはずだ。
「お姉ちゃんの好きだった肉団子のスープ作った。相も変わらずの煮込み料理だけどね」
「あったかいスープ、うれしい」
「ちーちゃんの肉団子、あたしも好き」
話は一気にまとまって、皆でご飯をご馳走になることになった。
「ちーちゃんは、いつもご飯作って置いてるんだよね」
「うちのママは、急いで作るんだよ」
「あー、めんどくさいって言いながら作るんだよ」
「おかずは、買って来るときもあるよ」
子ども達が、ここぞとばかりまくしたてる。
「そりゃ大変だ。誰か手伝ってあげなくちゃ。あたしは、10歳の時からご飯作ってきたのよ」
「うそだー!」
子ども達は、盛り上がった。
「昔の話、しちゃおうかな。お姉ちゃんの供養にもなるからね」
と、ちーちゃんは話し始めた。
「私達のお父さんは、戦死したの。その頃日本はアジアの国々で戦争をしていてね。うちのお父さんは、フィリピンの島で死んだって。私もお姉ちゃんもお父さんの顔を覚えていない。小さかったからね。
お父さんがいなかったから、お母さんが働いて皆を食べさせてくれたの。おばあちゃんも働いていた。おばあちゃんは家で『着物のお仕立て』をしてたけど、とっても忙しくてね。子どもたちが掃除や洗濯や炊事を手伝ったのよ。昔だから、冷蔵庫も洗濯機も電気釜もない。」
「知ってる。昔の暮らし、アニメで見た」
「ガスはきていたから、一つのガス台でご飯を炊いて、もう一つのガス台でみそ汁を作った。
朝は、ご飯に味噌汁に納豆。残りのご飯を弁当箱に詰めて佃煮をのせて、お昼ごはん。夜も同じようなものよ。みそ汁の代わりに、魚と野菜を煮ておかずを作る。魚を煮て、そのお汁で野菜を煮るのが上級者なんだけど、うちでは何でも一緒に煮ちゃう」
「なんか、まずそう」
「そうじゃないわよ、ジャガイモと玉ねぎと人参と豚肉を入れて、塩で味付ければポトフ。味噌で味付ければ豚汁。カレー粉で味をつければ…?」
「カレー!」
「牛乳を入れたり、おしょうゆ味にしたり。豚肉を鮭にしたり、めったに口に入らなかったけど牛肉にしたり、ひき肉を丸めて」
「肉団子!」
「食材を生で食べるか煮るか、それだけ。それで十分よ。汁を少なくすれば、煮物や肉じゃがができるし、大根と竹輪を入れればおでんになるし」
「卵も入れたいよ」
「ウインナーソーセージがすき」
「はいはい、色々入れましょうね。小さいころは二人でおばあちゃんを手伝ってたけど、中学生になるとお姉ちゃんは新聞配達のアルバイトを始めて、手伝いは私の係になった。お姉ちゃんは、中学を卒業してすぐに工場で働き始めたのよ。働きながら定時制の商業高校に行って簿記の資格を取った。お姉ちゃんは、凄い頑張り屋だったのよ。そのころおばあちゃんが死んじゃって、ご飯を作るのは私の仕事になった」
「それって、ひどくない?ちーちゃんは、まだ子どもだったんでしょ?」
「ひどくないよ、感謝しかない。お母さんとお姉ちゃんが働いて、私には勉強をさせてくれた。昼間の高校へ行かせてくれて、大学まで行かせてくれた。お姉ちゃんのお陰で私は医学部に行けた」
「でも、ご飯作るの大変そう」
「大変じゃないわよ。朝少し早起きして、用意をしただけ。高校に行くころには、うちでも冷蔵庫が買えてね、朝のうちに夜の分まで作っておいたの。生で食べるか、煮込むかだけだからね、材料を切るだけでしょ。簡単よ。食べる人も、作る人も時間を取られない、簡単料理」
「今でも、簡単?」
「ええ、簡単料理だけ。時間は限られているからね。今でも、朝のうちに一日分を用意するのよ。朝は炊きたてご飯で卵入り納豆ご飯を食べて、お昼には作っておいたおにぎりと残り物を食べるの。診察の合間にチャチャっと食べられるから便利よ。夜のご飯も出来ているから、仕事に集中できるというものよ」
私の母は、ほとんど料理をしない人だった。経理の仕事をしていて忙しかったのだろうが、私が小さかった頃も「ちーちゃんちのご飯」をよく利用していた。
利用していたというか…、母にとってちーちゃんのご飯は、おふくろの味だったんだろうな。
朝昼晩、365日、休まずご飯を作っているちーちゃんは、料理の達人だね。
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