辻邦の棚   短編集
  
「大切なもの」


 

 「グ、グルジー」

 私は、息が詰まって…。

「バカ!何やってる!」

先生が飛んできて、私の首のハンカチを解いてくれた。

あれが、授業中でなかったら、私は死んでいたかもしれない。

授業中に自分の首にハンカチを巻き付けて絞めてみるなんて… 

「なってこった!」

 小学三年生なのに。

 

 放課後、私は先生に残された。

 「びっくりしたぞ、あと1秒気付くのが遅かったら、お前も俺も、人生終わっていたぞ」

 「私の人生が終わったのは分かるけど、どうして先生の人生も終わるんですか」

 「教室で生徒が、授業中に自殺してみろ、学校からも父兄からも、教育委員会からもマス

コミからも、先生は袋叩きに合うだろうが」

 私は、分かったと大きくうなずいた。

 「川口さんは、なんであんなことをしたんだ。死ぬ気じゃなかったんだろ」

 わたしは、もう一度大きくうなずいていった。

 「首絞められるのって苦しいかなって…」

 「実験か?」

 「はい」

 「川口さんの事だから、そんなことだろうとは思ったけど、本当に死ぬとこだったんだぞ

『ありゃ、間違った』と思っても、死んだら生き返らないんだぞ」

 私は、死ぬなんて思ってもいなかったけど…。

 先生は続けた。

 「世の中、試してみたい事は山ほどある。だけど、めったなことでは、試してみるな。

「自分を大切に」だ。自分を大切出来るのは、自分なんだからな」

 

 あれ以来、私は自分を大切にしようと思っている。

 がんばらず、なまけず、ほめられもせず、くにもされず。

 早く寝て、早く起きて、体に良いものを良い位食べて。

 自分が嫌だと思うことは絶対しないと決めて。

 

 満員電車に乗るのは嫌だから、高校は歩いて行ける所にした。片道40分かかったけど。

 自分を大切にするには、将来、自分で生活してゆかなければならないので、資格の取れる商

業高校にして簿記と情報処理の資格を取った。

 大学へ行くほど勉強が好きではなかったので、ビジネスの専門学校へ行き、秘書の資格も取

った。

 クラブ活動は旅行クラブで、最近は、地域の「歩こう会」へ入った。

 無理のない、穏やかな私の人生。

 

 でも、でも!

 社会人になってからは、ストレス満載の日々

 通勤は満員電車。嫌だから、1時間早く家を出る。

 友達にランチに誘われるのも度々は嫌なので、弁当を作って持ってゆく。(どれだけは早起

きさせるんじゃ!)

 中くらいの大きさの商事会社の秘書課に就職したのだ。結構年配の女性社員がいるので、私

の人生は安泰と思ったが。  

が、そこの課長が嫌な奴。

仕事の指示があいまいで、ミスが出ると私のせいにする。

何かと理由をつけて、飲み会を開きたがる。

ビールを注がせて、肩を触ったりする。

嫌だったので、きっぱりと言ってやった。

「嫌だから、触らないでください」

 

 そして、私は、備品管理に配置換え。

 トイレットペーパーやコピー用紙の詰まった倉庫で、一人でパソコンに向かう毎日。

 「トイレットペーパー補充してください」

 「コピー用紙補充してください」

 「コーヒーが切れました、補充してください」

「筆記具の補充お願いします」

 補充、補充、補充の毎日。

 世の中、ペーパ-レスになっているのに、何ということだ!

 それにしても、使っても使っても減らない紙の山。

 そこで、私は倉庫の探検ごっこ。品物を表にして管理することにした。

 これが、私にぴったりの仕事。物を移動させる軽労働は座りっぱなしより体に良い。品物の

分類は、頭に良い。

 そしてそして、私は突き止めた。名探検家!

 備品が異常に多い。買い込み過ぎだ。

 その責任者は、課長。

 課長は、業者と癒着して、備品を買う代わりに接待を受けていたのだ。これは、犯罪だ!

 

 私は、今、会社の玄関口で受付の仕事をしている。

 花の受付嬢の私。

 ではないだろう。何を探検しだすかわからないから、目に付くところで働かせておこうとい

うのだと思う。

 見張られているのかもしれない。

 でも、私は、この仕事に満足している。

 玄関口は、空気の通りが良いし、立ったり座ったりで適度な運動になるし、来客に笑いかけ

るのは楽しい。

 楽しい毎日だよ。ね。


     
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