辻邦の棚   短編集
  

「先送り」

 
 私の口癖は、「待ってて」と「後で」だ。

 だが、私はグズでもノロマでも、のんびり屋でもない。それどころか、自分で言うのもなんだが、手際が良く素早い。始めれば。

 そう、取り掛かるのが遅いのだ。

 「ヨッコ、ご飯ですよ」と、母に呼ばれても、私は直ぐに立ち上がらない。読みかけの本から目を話すことができない。したくないのだ。

 2回3回、4回5回と呼ばれて本を閉じ、「おねーちゃん、来ないと唐揚げ無くなるよ」と弟が呼びに来て、初めて立ち上がる。

 これで問題ない。みんなと同じに食べ終わって、デザートのお変わりも出来る。

 一事が万事。幼稚園の頃から、高校卒業まで、母と面倒見の良い弟のお陰で、辻褄の合った子供時代を過ごした。だが…。

 最初のつまづきは、大学受験。

 私は、地元の大学へ推薦で進む予定になっていた。(私の地元は北海道で、推薦が受けられ程、私の成績は優秀)

 ところが、推薦に必要な書類をカバンに入れたまま、「後で出そう」「明日だそう」と思っているうちに〆切が過ぎて…。

 母親が切れた!

 「もうあんたには我慢できない!あんたの面倒は見切れない!大学は、遠くの大学へ行って」

 私は、東京の学費の安い国立大学を受験しなければならなくなって、大いに反省。

 もう絶対先送りにはしないと決心しつつ、死に物狂いで、吐きそうなくらい受験勉強をした。

 

予定外の大学に進んだおかげで、私はあきらさんと出会った。

 あきらさんと私は同級生で、アルバイト先も一緒の予備校の講師。図書館で度々出会ったのも縁だったのだろう。何事につけ締め切り30秒前に飛びこんでいる私が、あきらさんは気にかかったらしい。

 (先送りにしないという決心は、霧のように消えて、私は「後で」の日々に戻っていた)

 

 大学三年生の時、私は水害にあった。

 まさしく水の被害。

 私が借りていたアパートの上の部屋で火事が出て、幸い大事には至らなかったが、消火の為に放水された水が天井から漏れてきて、私の部屋は水浸し。

 何とか押し入れの下の段は乾いていたので、引っ越さなければと思いつつも例の通り、「後で」の心で「押し入れ暮らし」でしのんでいたところにあきらさんが現れ、「ぼくが借りているアパートは2DKで一部屋空いているからうちに来なよ」と、私と私の荷物を運んでくれた。

 まあ、そんなこんなで、私はあきらさんに感謝しつつ同居して、そのうち付き合うようになって、子どもが出来たのを区切りに入籍した。

時は、大学卒業の春。

 あきらさんは、大学院へ進み、私は予備校の講師になった。

というと、私の強い意志を感じるが、アルバイトで行っていた予備校に頼まれるまま受け持ち時間が増えていっただけ。シフトの調整とか、本当にめんどうくさい。

 無事赤ちゃんを産んで、華子と名付けて、近くの乳児室に預けて、私は塾の講師を続けた。

 結婚しても、ママになっても、私の生活は変わらず。先送り。でも、何とか回っていた。

 そして、二年。

 あきらさんの書いた論文が評価されて、あきらさんは、アメリカ西海岸にある大学に研究員として行くことになった。

 家事と育児とアルバイトと学業と忙しいのに、よく論文がかけたなとあきらさんを尊敬。

 「僕は一足先にアメリカに行くけど、ヨッコも区切りがついたら華子を連れて、アメリカへ来てくれ。本当に今まで支えてくれてありがとう。待っているからね」

 そういって、あきらさんは旅立った。

  

 私は、天職かと思うほど予備校の仕事が性に合っていた。

 「後で」「後で」と勉強をするのを先送りにして、志望校入学を逃して後悔している生徒たちの心の痛みが手に取るように分かった。

 そこを乗り越えて、次はチャンスをつかむぞと頑張る若者たちを助けたいと思った。

 

 あきらさんとは、スカイプで繋がっていたので、華子も私も寂しくはなかった。

 が、華子が小学校に入る年の三月。あきらさんは日本へ一時帰国した。私達を渡米させる心積もりで。

 画面越しより現実に合う方が楽しい。

 華子は大喜び!

私も、踊りだしたいほど嬉しかったよ。

 ところがその日、志望校に入れなかった学生の親から執拗に非難されて、後輩の講師が自殺を図った。幸い一命はとりとめたが、こういった感情は伝播する。集団ヒステリーの原因になる。後を追って、自殺を図る学生が出るかもしれない。

 対策に追われた私は、

 「ちょうどよかった。良いと所に来てくれたわ、華子をお願いします。入院している彼に、ついててあげたいの」

 と、家を飛び出し、三日間帰らなかった。

 落ち着いて考えると、私こそパニックを起こしていたのだ。

 一段落して家に戻った私は、あきらさんがいる事に甘えて、話もせずに眠ってしまった。丸一昼夜眠りこけて、目覚めたときには、あきらさんは、置手紙を残してアメリカへ発った後だった。

 「ヨッコが今でも僕を愛しているなら、アメリカへ来てください。一緒に暮らしましょう。待っています」

 私は、今でもあきらさんを愛している。

 

家族そろって暮らす方が華子の為にも良いと思いながら…。

 ついつい、退職を言い出せず、予備校での私のポジションは上がる一方で、ますます区切りをつけるのが先送り。

華子が中学生になるときが次のチャンスだった。今度こそ!と思いつつ、またまた、出遅れて…。

 華子だけアメリカの学校へ行かせるという選択肢もあったが、

 「ママが一緒じゃなければ、嫌よ。アメリカへは、学校が休みの時に行くからいい」

 と、華子が言ったので、そうすることにしてしまった。

 学校が長期に休みの時、夏休み、冬休み、春休みは、私の仕事の繁忙期だ。その間、華子がアメリカで過ごしてくれるのは安心だった。

 「ママも行こうよ。パパが待ってるよ」

 と、華子に誘われると、今度の休みこそ一緒に行こうと決心する。

 が…、ずるずるとなし崩しの先送り生活。

 そして、華子が大学を卒業する時を迎えた。

 

 「これからどうするの?」

 と、私は華子に尋ねた。

 なんとなく、華子はアメリカの大学院に進んで欲しいという思いがあった。

 華子の答えは、意外なものだった。

 「結婚するよ」

 「え?結婚!」

 華子が、同級生の卓也君と付き合っているらしいことは知っていたが、びっくりした!

 「うん。卓也君と結婚して、北海道に住む」

 「北海道?どうして?」

 北海道は私の故郷で、まだ両親が健在で、弟がワイナリィーをやっているところ。

 「卓也君が、あっちの大学の大学院へ行くんだって」

 と、華子は答えた。

 「それは良かったけど…」

 よく状況が私には呑み込めない。

 「私は、おじさんのところの仕事を手伝って、生活を支える」

 「そんな!華子が卓也君の犠牲になることないでしょう」

 私は反対だった。断然反対!

 「結婚なんて、まだ早すぎる」

 そしたら、華子が大きな声で笑ったの。

 「何言ってんのよ、ママ。私は、卓也君の犠牲になんかならない。私は、ママと同じことをしようと思ってるだけよ」

 「だから…。だけど…」

 華子が、きっぱりと言った。

 「別に、ママの真似をするわけじゃないの。私は自分の勉強したことを生かすために、ワイナリィーに勤める。そこがおじさんの所だっただけ。でも、結婚式は東京で挙げるよ。友達に祝ってもらいたいからね」

 

 わたしは、即刻、予備校の仕事を辞めた。

 手早いのか、遅すぎたのか…。

 私は、華子の結婚式の準備を手伝いたかった。

なんか、この機を逃したら…。

母親らしいことをしてあげる機会が無いと、思った。

 そして、華子が出ていくついでに、私も学生時代から住み慣れたアパートを引き払う準備をしたかった。

 そう、遅ればせながら、私はアメリカへ行く。

 あきらさん、まだ待ってくれているかな?

 それが心配だけど…。

 話し合いは…、後で。


   
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