アキラはうそつきだと悟郎は思う。五年生になって悟郎は初めてアキラと同じクラスになった。アキラは三組の中で一番背が低くて、ぽっちゃりした体つきだ。色白でわらうと目が三日月みたいになり、口角がきゅっと持ち上がりまるでニコニコマークみたいな顔になる。人懐っこくて、だれにでも話しかける。アキラのまわりはいつもにぎやかで、笑い声がたえなかった。友達にからかわれても、気にするふうもなくニコニコしている。
「アッくん、なにか面白い話してよ」
夏芽がいうと、アキラはちょっと甲高い声で話した。
「昨日、イリオモテヤマネコを見たんだよ。家ネコのキジトラみたいだけど、威厳があってすごく強そうだった」
「イリオモテヤマネコてって沖縄の西表島にしかいないんだよ。このへんにいるわけないじゃん」
「テレビで見たんだって。見たは見たでしょ。ぼく、うそなんかついてないよ」
「やっぱりね、アキラってうそつきなんだもん。うそつきアキラ、こら」
アキラも夏芽やほかの女子も大笑い。
(くだらない。本当にアキラはうそつきだ。夏芽も夏芽だ。うそだってわかってるのに。男子だって、面白がって)
悟郎はなんか腹が立つ。
(あいつ、おかしくないか?あんなに、いっつもにこにこしてて。楽しくてしょうがないって顔してる)
アキラがクラスの人気者だからうらやましいのか、悟郎はアキラのことが気になってしかたがない。それがなぜか悟郎は自分でも自分の気持ちがよくわからないのだった。
悟郎は昇降口でアキラにばったり会った。アキラはぱっと駆け寄ってきて、聞いた。
「ねえ、今日遊べる?」
悟郎はとっさに、
「予定があるから遊べない」と言った。
「そうだよね、悟郎くんは塾へ行ってるんだもんね。忙しいよね。またさ、こんど遊ぼう」
アキラは笑顔で肩をすくめた。悟郎はなんだかむかーっときた。
「おまえさ、なんでいつもわらってるの?」
アキラはひょうしぬけするほどすぐに答えた。
「だって、楽しいんだもの。ぼく、楽しいことばっかり考えてるから」
「そういえば、悟郎くんてこわい顔してるよね。疲れそう。もっと、テキトーにしたら?楽ちんだよ」
運動場へかけていった。すばしっこいネズミみたいだった。
㋄末、土曜参観があった。国語の授業だ。悟郎のお母さんは一番に来て教室の一番奥に立った。ベージュのスーツをきちんと着て、ハンドバッグなんか持っている。悟郎はいやだなと思う。他のお母さんはもっとラフな服を着ている。トレーナーの人だっているのに。
でも、今日はお父さんがこないだけよかった。いつもはお父さんもいっしょに来た。だから悟郎は参観日が大嫌いだった。
授業が始まった。一番あとから若い男の人が入ってきた。すると、アキラがくるりと後ろをふりむいて、大きな声を出した。
「お兄ちゃん!ぼく、ここだよ」
男の人はうなずくとかるく右手をあげた。うしろのお母さんたちからしのび笑いが起こる
古河先生はパンパンと手をたたくといった。
「はーい、授業を始めましょう。今日は「ごんぎつね」の二回目です。まず、教科書を読みます。だれか、読める人?」
何人かの手がさっと挙がる。アキラは椅子から腰をうかせながら手をあげた。アキラの席は悟郎のななめ前だった。アキラは先生にさされると、大きな声で読んだ。読み終えるとくるりと後ろを向いて、右手の親指をたてた。お母さんたちからかすかな笑いがもれた。
授業が終わると、アキラはお兄さんにかけよって、太い腕をたたいた。
「ねえ、ぼく、うまかったでしょ」
お兄さんはアキラの肩をポンポンとたたいた。
「がんばってるな。えらかった」
こういうと、教室から出ていった。夏芽や何人かの女子がアキラをとりまく。
「お兄さん、カッコいいねえ。ねえ、大学生?」
「うん、夜に大学いってるの。昼間は毎日ファミレスで働いてるんだ。えらいでしょ」[h1]
アキラは顔を上気させて得意げに言った。
夏芽がまた聞いた。
「お兄ちゃん、すごい筋肉だけど、ボデイビルかなんかしてるの?」
「ううん、家や公園で自分一人でトレーニングしてるの。ダンベル持ち上げたり、腕立て伏せや腹筋、いろいろしてるよ」
「えらっ!」
「ふつう、お父さんでもないのに授業参観なんか来ないよね。アキラのお父さんみたい
「アキラのお父さんてさ、外国へ行ってるていったけど、どこの国」
「アメリカ!」
アキラがひときわ高いこえを出した。
悟郎はここまで聞いていたが教室から出た。校門の外にでたところで、男子に声をかけられた。
「よお、悟郎、今日遊べる?」
「そうか、今日は塾の日か」
「じゃあな、バイバイ」
悟郎はなにも言えなかった。そこへアキラが走って来た。
「一緒に帰ろう」
にこっと笑って歩き始める。
「ぼくんちへ来る?家、狭いから中で遊べないけど。いい天気だから外でいいでしょ」
悟郎はちょっと迷ったけど、アキラの家を見たいという気持ちの方が強かった。自分の家と反対方向に歩くアキラについていく。塾があるから早く帰らなければと思いつつ足がアキラに引っ張られてしまうのだった。
アキラは道端の草を引っこ抜いて空に向かって投げ飛ばしたり、しゃがんで草むらのテントウムシを手のひらにのせたりした。
「見て、これナナホシテントウムシかな。かわいいでしょ。あげるよ、悟郎くんに」
言いながらさっと悟郎の手にのせる。
アキラの家は遠かった。二宮小学校との境くらいだった。団地を通り過ぎると、畑が一面に広がっていた。公園を抜けると家がたくさん建っていた。その一角に二階建てのアパートがあった。
「ぼくんち、あそこの一階だよ。103号室」
アキラが指さした。アパートの前には自転車や三輪車が何台も置かれていた。確か、アキラのお父さんはアメリカにいると言ってたけど。うそだと悟郎は思った。外国で勤務する人の家族がこんな古くて狭そうなアパートにすんでるか?やっぱり、アキラはうそつきだ。悟郎がアパートをじろじろ見ていたらアキラが言った。
「ねえ、遊ぼうよ。悟郎くんと遊べるなんてめったにないことだもの。ドッジボールかバトミントン持ってくるよ。待ってて」
アキラは悟郎の返事も聞かずに走って行った。そしてあっという間にドッジボールとバトミントンのセットを両腕に抱えてきた。
「ぼく、塾があるんだ。帰らなきゃ」
悟郎が言うとアキラはわらった。
「ちょっと遅れていってもいいでしょ。悟郎くんみたいに頭のいい子は一日くらい、休んだって平気」
「でも・・・・家の人に・・・・」
「もう真面目なんだから。大丈夫だったら。テキトーに言ったら?」
「なんて?」
アキラは目を輝かせた。
「悪い友達に強引に誘われたとか、駅裏の草ぼうぼうの土手の穴にタヌキが二匹いて友達とずっと見てたとか」
悟郎は心底びっくりした。アキラは楽しそうに大きな目をくるくる動かした。
「道ばたの草むらにダンボール箱があったの。中を見たら捨てネコがいて、ずっと見てたけど、友達が家に持って帰ってミルクを飲ませたりして遅くなったとか。話なんかいっぱい作れるでしょ」
悟郎はポカンと、よく動くアキラの口を見つめていた。
「それはうそだろう?」
「うそついてもいいんだよ。お兄ちゃんがそう言ったんだ。人に迷惑かけないうそならいいんだって。それにさ、うそが本当になることもあるんだって。ずっと願ってればかなうこともあるってよ。悟郎くんだって、きっとうそついたことあると思うよ」
アキラはぐっと顔を近づけた。茶色がかった大きな目がじっと見つめる。
「ほら、あたり。やっぱりね。よかった。悟郎くんてなんか遠い男子に見えて話かけづらかったの。でも、もう友達になれた」
アキラはたちまち人懐っこい笑顔になると、バドミントンのラケットとを悟郎に渡した。
「遊ぼうよ」
勝手に羽を打った。悟郎はあわてて打ち返す。アキラはすぐ強い球を打ち返してくる。小柄な体はすばしっこくて、あちこちに動き、どんな球も拾って返してきた。悟郎は心にわだかまっていたことも忘れて遊んだ。
「お前ら、案外うまいな。いい線いってる。お兄ちゃん、これからバイトだ。それで今日はそのまま大学へ行く。お母さんに言っといて」
アキラのお兄さんがいつの間にか腕組みをして後ろに立っていた。悟郎たちのバドミントンを見ていたにちがいない。お兄さんは悟郎にむかって言った。
「また遊んでやって」
「お兄ちゃん、行ってらっしゃい」
そういうとアキラはお兄さんの太い腕にぶら下がった。お兄さんはアキラをひょいと持ち上げるとぐるぐる回した。アキラはキャーキャーいって喜んだ。そしてアキラをすとんと地面に下した。
お兄さんは二人に軽く手をあげると大股で歩いていった。がっしりとした後ろ姿。まるでラグビー選手のようだった。
「お兄ちゃん、カッコいいでしょ。ぼく、お兄ちゃんみたいになりたい」
一人っ子の悟郎はアキラがうらやましいと思った。
「お母さんはね、スーパーの鮮魚売り場の奥で働いてるんだよ。魚をパック詰めしたり、頭や腹をとって、刺身にしたり。働くのは好きだけど、体が冷えるんだって」
アキラはペラペラしゃべった。でも、アメリカに行っているというお父さんのことは話さなかった。
「悟郎くんのことも話してよ」
「なんもない。ふつーだもん」
「ふつーってどういうこと?」
アキラが首をかしげて不思議そうな顔をした。
悟郎はお父さんとお母さんの顔を思い浮かべた。
(行儀よくしなさい。勉強がんばって、付属中学に行くのよ)とずっといわれ続けてきた。でも、この頃、窮屈に感じることが多くなってきた。かといって反発することもできない。自分がなにをしたいかがまだわからないからだ。
「もう帰る」
悟郎がぽつりと言った。
「うん、わかった。悟郎くん、また遊ぼう」
アキラは悟郎の手からラケットをとるとケースの中にしまった。
「じゃあ」
悟郎はランドセルを背負った。
「ぼくんち、いつ来てもいいからさ。こんどはお兄ちゃんも一緒に遊んでくれるよ」
悟郎はゆっくりとした足取りで歩く。塾の時間に間に合わないと思った。もう、いい。いつもお父さんやお母さんのいう通りにしなくてもいい。たまには自分の好きにしたい。うそだってついていい。人を傷つけさえしなければいいんだ。アキラのおにいちゃんがそう言った。
ぐちゃぐちゃだった頭の中がすっとすきまができたようになった。体が少し軽くなっていくようだった。お母さんに叱られたら本当のことを言おうか。アキラの家に行って少し遊んだって。それとも捨てネコを見ていて遅くなったって・・・・。ネコ家で飼ってもいい?てきいたら、お母さんどんな顔をするかな・・・・。
あれこれ考えていたら楽しくなってきた。笑えてきた。でも、うそをつくって案外難しいと悟郎は思った。
アキラのお父さんはアメリカなんか行ってない。あれはうそにきまってる。でも、アキラはうそをつこうと思ってうそついているのか、本当にそう信じているのか、そうだったらいいと願っているのか。いや、お父さんは本当にアメリカへ行ってたりして。いいや、もしかして、アキラにはお父さんがいないのかもしれない。お兄ちゃんがそう言ったのか。アキラはお兄ちゃんのこと大好きみたいだし。あんなカッコいいお兄ちゃんがいてアキラは幸せだと悟郎はつくづく思った。
悟郎は考えるのをやめた。ばかばかしくなったのだった。
アキラのお父さんがいてもいなくても、アメリカに行っていなくても、本当にアメリカにいても、どうでもいいように思えてきた。学校でも家でも、あんなに楽しそうにわらっていられるのだから。
「ようし、またアキラの家に行こう。一緒に遊ぼう」
悟郎は深呼吸をした。春の夕暮れのなまあたたかい風がほほをなでる。
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