生田 きよみ の棚   読み切り
  「金色のうろこ

「あーあっ」

 学校の帰り道、孝道は大きなため息をつくと、道端の雑草を引っこ抜き思いっきり後ろへ投げた。

「痛いなあ」

 孝道がびっくりして振り返ると、十月に転校してきたばかりの心太郎が後ろにいた。心太郎は頭についた草を手で払っていた。

「ごめん、ごめん」

「このくらい、平気。ねえ、孝道くんちって、ぼくと同じ道だったんだ。一緒に帰ろう」

心太郎はうれしそうに笑った。

 (なんで、こいつはおこらないのだろう。学校でもいつもそう。いじめられてもわらわれてもうっすら笑っている)

 孝道はついてくるなとは言えず並んで歩き始める。

「明日さ、孝道くん、三時間目の発表(将来の夢)、なに言う?」

 孝道はどきりとした。明日の発表がいやで、むしゃくしゃして雑草を投げたのだ。先週からの宿題。(将来の夢、なりたい職業)について発表することになっていた。

(まだ四年生、今からどんな仕事をしたいかなんてわかるものか)

 孝道はゆううつだった。なんでもいいからうそをいおうと思っていた。でも、なにを夢とするか、やはり気になってしかたがなかった。

 登り坂を黙って歩く。すると、心太郎が孝道の肩をつついた。坂の左手にお寺の門と屋根が見えた。

「もしかして、あそこが孝道くんち?みんなが言ってたよ。孝道くんの家はお寺だって。ねえ、お寺の中に入っていい?ぼく、お寺は好き。三年前、お母さんが死んでから、お寺が好きになったんだよ」

 孝道は驚いて心太郎の顔を見た。心太郎は悲しそうな表情もせず、淡々とした顔で言ったのだ。孝道はあわてて言った。

「いいよ、別に。だけど、ぼく塾があるから、遊べないけど」

「ちょっとお寺の境内を見せてもらうだけ、ね」

孝道はめったに友達を家に連れてこなかった。寺の裏に庫裏があり玄関を開けると、いつもお線香のにおいがして、部屋は昔風で寒くて薄暗かった。それがいやだったのだ。だから、孝道は心太郎を本堂の方へ連れていった。 寺の門を入ると、境内が広がり、松やかえで、イチョウの木があった。

「かっこいいお寺だね。いいな、孝道くんはこんなところに住めて。あ、池もある」

心太郎はかえでの木のそばにある池を見つけるとかけよった。

「すごい!鯉がいっぱいいる。すごい、すごい」

 心太郎が池のそばにしゃがむと、鯉たちは体をくねらせて集まってきた。赤、黒、三色まだら・・・・十匹以上いる。

「うわあ、銀も金もいる!」

 心太郎は細い目を見開いて興奮している。鯉なんか珍しくもないし面倒なだけだと孝道は思っていた。壇家の人たちと池を掃除する時は孝道も手伝わされた。毎日の餌やりも孝道の仕事だった。

「孝道くん、時々、見にきてもいい?」

 心太郎は孝道を見上げる。

「鯉たちをおどろかせないように見るだけ。ほんと、ただ見るだけだよ」

 心太郎は池から顔をあげると真っ直ぐ孝道を見つめた。細い目がいっぱいに開いている。寺の門はいつも開いているし、見るだけならいいだろうと孝道は思った。

「わかった、でも、餌とか持ってきてやらないでよ」

「うん、餌をやりすぎると、病気になったり、死んだりするもんな。ありがとう、孝道くん」

 心太郎はランドセルを背負いなおすと、前のめりになって走っていった。

 

 次の日、孝道が教室に入って行くと、心太郎と目が合った。心太郎はうっすらと笑う。孝道は知らん顔して席に着いた。心太郎が親しげに近づいてきたら、いやだなと孝道は警戒した。

心太郎は二学期の十月末に転校してきた。転校初日、先生が紹介した。

「愛知県から来た飛田心太郎くんです。飛田くん、自己紹介してください。なんでもいいわよ」

 心太郎はにこりと笑うと、頭をかいた。

「ええと、仲良くして下さい」

 あとは何も言わずうっすらと笑っているばかり。先生が「飛田くんは恥ずかしがりやかもね。いいですよ。みんな仲良くしてあげてくださいね」

 すると、心太郎は床に頭がつくくらいにピョコンとおじぎをした。みんなが笑った。

 それからクラスメートは心太郎のそばにいって、遊びに誘ったりしたが「ありがとう」と言うのだが輪の中に入ることはなかった。そのうち、だれも誘わなくなった。でも、心太郎はにこにこと皆の遊びをみていた。ひとりでいるのが好きみたいだった。

 授業中も先生にあてられても、答えられないことが多かった。本読みだけはわりとうまかった。ほとんど話さなかったのでみんな、心太郎がいることを忘れるほどだった。

 三時間目、「将来の夢」発表の時間がきた。色々あった。新幹線の運転手、医者、花や、社長、パテシエ、サッカー選手・・・・。孝道は夕べ考えた水族館の飼育員といった。

「ええっ、孝道、お坊さんでしょ」

 だれかが言うと、みんなが笑った。

 心太郎の番になった。

「ぼくのおとうさんは今まで金魚の養殖をしていました。今度から鯉の養殖の仕事をします。ぼくもおとうさんみたいに鯉の養殖をしたいです」

 まっすぐ前を向き、堂々とした声だった。いつもほとんどしゃべらない心太郎にみんなびっくりした。心太郎は発表した後、席につき上気した顔でわらっていた。孝道は(ヘンなやつ)だと思った。

 孝道は友達とおいかけっこしながら遠回りして家に帰った。お坊さんとからかわれた時は、すごくいやだったが給食を食べてからはなにもなかったように過ごした。気にしなければいい、夢発表が終わった開放感を味わった。家に着いた。ふと門から本堂をのぞくと、心太郎が池のふちの石にこしかけていた。孝道はドキッとした。一瞬迷ったがそっと庫裏にまわった。

 それから毎日のように心太郎は来た。孝道は塾が週二回あったので、心太郎に見つからないようにそっと家を出た。

 一週間がたったころ、お母さんが孝道に聞いた。

「ねえ、最近、孝道くらいの男の子が来て池の鯉を見てるんだけど、あんたのお友達?」

「うん、同じクラスみたい」

「みたいってどういうこと」

「あいつ、十月に転校してきたんだ・・・よく知らない」

「あら、じゃ、一度家に上がってもらったら?」

 孝道は首を大きく横に振る。

「おまえ、寺の息子ってことがいやなのか」

 お父さんが新聞をテーブルの上に置いた。

「いいか、おまえは一生懸命勉強して京都の大学へ行くんだ。そして将来、この寺のあとをつぐんだよ。おじいさんも檀家の人だけでなく地域の人たちに慕われた。お坊さんは立派な仕事だ。誇りを持て」

「お父さん、今からそんなこと早すぎますよ。決めつけたら孝道がかわいそうです。孝道、宿題やっておいで」

 お母さんが言った。孝道は床をにらんで自分の部屋へいった。

(いやだ、やっぱり坊さんなんてやだ。コウドウって名前もいやだ。友達は将来の夢はサッカー選手、宇宙飛行士、料理人・・・・。なんてうれしそうに言ったのに。おれは坊さんなんて言えない。お寺になんか生まれなければよかった)

 ふっと、心太郎の顔が浮かぶ。

(金魚や鯉の養殖ってなんだろう。お父さんみたいになりたいと、うれしそうに話していた。それでおれの家の鯉を見た時、興奮してたんだ)

 次の週もそのまた次の週も学校帰りに心太郎は寺に来て、鯉を見ていた。二十分くらいいて、池に向かって手をひらひらとふってのんびりした足取りで帰っていった。

 

 二学期が終わった。今日は十二月二十五日。もう心太郎は来ないと孝道は思っていた。冬休みの手伝いは寺の境内の掃除だった。ほうきで落ち葉やごみをはいてちりとりでとっていく。

「孝道くん、えらいなあ」

 いつのまに来たんだろうか。心太郎が立っていた。

「明日から、しばらくここにこられないかも。だから鯉に会いに来たんだよ。一緒に見ようよ」

 孝道は掃除もさぼりたかったので池にいった。冬の間は鯉の動きは鈍い。池のすみにじっとかたまっている。

「きれいだなあ。赤、黒、紅白、三色まだら・・・どれもかっこいい。孝道くん、どれが一番好き?ぼくはな、金色のやつ。金色二匹いる、あの小さいほう。ちょっと黄色みたいだけど、たしかに黄金鯉だよ。今に大きく育ったら金色に輝くよ」

 鯉に好きも嫌いもなかった。鯉はただの鯉だった。確かに金色は二匹いた。この池の鯉はなぜかよく卵を産む。お父さんは稚魚を本堂の水槽にいれて育てている。池にいれたままにしておくと、大きいのが食べてしまうのだ。ある程度大きくなると池に放つ。小さい金色はいつ生まれていつ水槽から池にもどされたんだろう。

 じっと池を見ていた心太郎がぼそりと言った。

「いいなあ、孝道くんは。こんなに立派なお寺の子で、池もある。鯉もいる」

「おれ、普通の家の子がよかった。鯉なんかいらない。おまえ、そんなに鯉が好きなら一匹やるよ」

「ええつ?ほんと?」

 心太郎はだらしなく口を開けた。

「いいよ。また卵生むから。檀家の人にもいつもあげてるんだ。あんまり数が増えるといけないからさ」

 心太郎の顔がみるみる輝く。

「バケツで運んでもいいかなあ。死なないよね。おれんち、池も水槽もないけどさ、明日か明後日、お父さんが車で迎えにくるって言ってた。そしたらお父さんにあげるんだ。お父さんは、今まで、金魚を育てて出荷する仕事してたんだけど、友達に誘われて鯉の養殖をすることになったの。それで、霞ケ浦の鯉養殖場へいってるんだ。二か月くらい家さがしたり、仕事の段取りもあるから、ぼくはおばあさんの家に来たってわけ」

 孝道はすぐには理解できなかった。でも、心太郎がまた転校するということは、わかった。

こんなに鯉を欲しがっているし、一匹くらいあげてもいいと思った。

「昼から来いよ。お父さんは法事でいないし、お母さんも出かけるからさ。バケツと網を持って来いよ」

心太郎はうれしそうにうなずくとかけていった。

昼過ぎ、本当に心太郎はきた。大きな青いポリバケツと魚をすくう網を持って。

「あの、金色の子でもいい?」

「すきなやつ持ってっていいよ」

孝道が言うと心太郎はそろそろと池に網を入れた。池のすみに固まっていた鯉たちは驚いたのか、ぱっと散った。「おいで、おいで。いい子だね」と心太郎は声をかけながらゆっくり網を動かす。

鯉はするりするっと逃げてなかなか網にはいらない。大きい鯉たちは小さい金色をかばうように上にきて邪魔をする。心太郎は池の周りをぐるぐるまわりながら追いかける。

「心太郎、ほら、金色子どもがきた。今だ、すくえ!」

やっとのことで小さい金色が網にはいった。

「わあ、重い!」

 心太郎は鯉をバケツにいれた。池の中でみるより大きい。鯉はバシャバシャンと身をよじってはねる。今にもバケツから飛びだしそうだった。上にビニール袋をかぶせてふたをした。鯉はまだはねている。

「おい、バケツの中に一晩中入れてたら、死ぬぞ」

孝道が言うと、

「大丈夫、お父ちゃん、たぶん明日来るし。プラスチックの衣装ケースがおばあさんちにあるから」

心太郎はバケツを両手でかかえた。

「ついていってやるよ」

「ひとりで大丈夫」

心太郎は言ったけど、孝道は無理やりついて行った。孝道の寺の坂を下り畑が続く道を歩いた。

「あそこがおばあちゃんの家」

一階建ての古い家で農家みたいだった。庭に鍬やむしろがたてかけてあった。

「ありがとう。おばあさん、多分、畑にでてる」

心太郎はよいしょと声をかけながら、バケツを玄関前に置いた。

「鯉、ほんとにありがとう。もしかしたらもう会えないかも」

心太郎の顔がくもった。はいれと言わないので、孝道はそのまま帰った。

 帰り道、急に心配になってきた。

(あいつ本当に鯉を衣装ケースにいれてくれるかなあ。お父さんがきてくれるかなあ)

 家が近づくにつれますます不安になった。

(金色鯉が一匹いなくなったこと、見つかったらどうしよう)

 

 二日後、孝道は心太郎の家に行ってみた。玄関の戸口をたたいたがだれも出てこない。何回もたたいた。心太郎がお父さんの家へ行くと言っていたことを思い出した。

(鯉は無事運ばれたにちがいない。でも、心太郎とお父さんはどこへ鯉を持っていったんだろう。お父さんが新しい仕事をする霞ヶ浦かなあ)

孝道はわからないことだらけだった。

寺の暮れは忙しい。本堂のすす払い、仏具のお磨きさん、お正月の用意など、檀家の人たちが来て手伝う。

鯉が一匹いなくなったことをだれにも気づかれなかった。

除夜の鐘をならすため、大勢の人がきた。お母さんは檀家の人と甘酒を作って来た人たちにふるまった。孝道はずっと部屋にひきこもってテレビを見たり、ゲームをした。

元旦からお寺にお参りに来る人がいる。お父さんはお経をあげたり、お母さんは接待で忙しい。

三学期が始まった。教室に入ると、いつも早くきている心太郎がいなかった。

先生が言った。

「心太郎くんは転校しました。急だったのでみんなにお別れも言えず残念がってました。よろしくって」

 始業式のあとの帰りの会のあと、先生が孝道に職員室にくるようにいった。孝道が行くと先生から封筒を渡された。

「心太郎くんとお父さんがきてね、これをあなたにと」

 孝道はうすい茶封筒を受け取ると、落とさないようにしっかりと手に持って家に帰った。いそいで封筒を開ける。中からノートを破ったような紙が出て来た。

「孝道くんへ  金色鯉ありがとう。お父さんと、霞ケ浦の新しい家へきたよ。水槽に入れたら、すごく喜んでのびのびと泳いでた。でも、ごめん、水槽に移し替える時、はねて、コンクリートの上に落ちた。そこにくぎみたいなのがあって、うろこが一枚はがれた。かわいそうなことをしてごめん。お父さんが、金色鯉なんかもらっていいのか、とすごく心配してた。おれ、おこられたよ。

お父さん、これから、新しく鯉の養殖の仕事をするって張り切っている。ぼくもお父さんの仕事を手伝うつもりだよ。孝道くん、鯉のはがれたうろこもらってね。うろこ、また生えてくるかなあ。鯉にかわいそうなことした。孝道くんのこと思って大切に育てるよ。ありがとう。またお寺にいきたいよ。鯉も見たいし。おばあさんの家に行くときはきっと連絡するから。バイバイ」

 小さいビニール袋を開けた。鯉のうろこが一枚出てきた。小さな小さなうろこだった。うろこと言われなければ、ビニールのかけらかとも見える。孝道が明るい冬の陽にかざすと、ピカッと金色に光った。光のむこうで心太郎がうっすらとわらっていた。


       
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