青山和子の棚
 
わたしの読んだ本  1
 『病んでも老いても人生は華 ―賞味期限なし』
吉武輝子 海竜社(平成14年)

 著者は「行動を起こす女たちの会」など、社会に生きる女性たちの先駆けとして、市民運動を担って

きた人である。

しかし、この一冊を読むと、所謂活動家という括りに納まりきれない一人の女性としての思いが、

随所に顔を覗かせている。夫君との四十五年に亘る結婚生活や、一人娘のあずさ夫妻とのやりとり、

又、神楽坂合唱団の活動や布、着物に対する思い入れなど、生活の細部に至る目くばりが活き活きと

描かれている。

夫の一周忌を迎えた第一章「亡き夫からの贈り物」に始まり、以下第六章まで、著者の視線はやさし

く広がって生きていくことにまつわるさまざまな出来事が淡々と語られていく。章の冒頭に揚げられた

自作の俳句が、なんとも味わい深い。

 

・鶯の啼きて忌明けとなりにけり

・夫亡くて傾け歩く日傘かな

・開かんと棘の鋭き冬薔薇

・母と子のひとつ日傘に墓参かな

・亡き夫の日記は読まぬ年送り

・夫亡くて千草の花の盛りなる

 

これらの句に出会えただけでも、読んだ甲斐があると思った。この一冊に込めた著者の思いの

深さが行間に滲み出ている。

吉武輝子氏は、暮している地域を大切にして、食料品や日常雑貨、電気製品に至るまで地域でま

かなわせてもらっていると書かれている。量販店で買うよりは、アフターサービスの便利さを考え

れば結果的に安くつくというのが著者の生活感覚であるらしい。同じ目線で暮らしている私は、

この一文を読んでなんだか嬉しくなった。

著者は述懐する。現実に距離を置いて生きた夫君とは反対に、かっかっと熱く生きている自分とは

人生を生きる温度差の違いで、折々には摩擦を生じさせたが、その違いが足らざるところを足らし

あって生きることのよすがへと変わっていき、一プラス一の気配を充足し合っていたようだとの

感慨に至る。

自分はノセられ上手だと言い、夫君はノセ上手であったという夫妻の営みは、から見れば羨まし

い関係だったに違いない。

女性週刊誌の記者を辞めたとき、

「腰を据えていいものを書く時期にきているように思うので」と呟いた著者に、

「ワリが悪くても、納得の出来る仕事をしたほうがいい。きっといいものが書ける」

と、励ましてくれたK氏。

そのことが二人を結びつけ、四十五年を共に暮らすきっかけになったのだろう。

昭和の時代を共に生きた二人にとって、

「病んでも 老いても 人生は華」であり、そこには賞味期限などという野暮なものは、

介在しようがなかったのだ。



 
辻邦の棚  生田きよみの棚  青山和子の棚 
短編集  連載 この本 
この本    わたしの読んだ本 
poetry
   
 著者紹介  著者紹介 著者紹介