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お薦めの本  

子供の十字軍  
ベルトルト・ブレヒト著
  矢川澄子・訳  銅版画・山村昌明       

『子供の十字軍』を手にしたのは、四十代後半だった。

八十ページに満たない薄い本だったが、書かれている内容は重く、私にとって生涯手放せない一冊となった。どういうきっかけで求めたのか、二十年以上前のことで今となっては判然としないが、訳者である矢川澄子に依るところが多かったと思われる。彼女の視点と端正な文章が好きで、それ迄もいくつかのエッセイや翻訳された作品を読んでいた。
                     

 1939年、戦争によって家族も故郷も失くし、戦さを逃れてポーランドから平和の地を目指して、あてどもなく歩き続ける子どもたち。最後に五十五人が目撃されていると記されている。ページごとの文章は、簡潔に四行でまとめられ、感傷も装飾もなく淡淡と進行していくが、行間に滲み出る悲惨な状況は目を覆うばかりだ。
 道をたずねるために、負傷した兵士を介抱するが、「ビルゴライへ行け」と言っただけで兵士は死んでしまう。どの方角が正しいのかわからない子どもたちは、途方にくれたまま歩き続けるしかないのだ。途中、一匹の犬と道連れになり、その犬の首輪に“助けて!”のメッセージを残す子どもたち。
 逃避行を続けるなかで、少年と少女の幼い愛が育まれ、他の集団との争いや裁判、文字を覚えるためのささやかな学校や音楽会、さまざまな場面があるが、圧倒的な飢えと寒さは常に隣合せについて回る。繰り返される仲間の埋葬とお弔い。
 そこにはさまざまな階層の子どもがいる。皆それぞれに重荷を背負って、平和の地に向かって歩き続けるしかないのだ。
 ブレヒトは、文中であからさまな戦争批判をしてはいない。しかし、絶望的な状況のなか、歩き続ける子どもたちを克明に描写することによって、戦争の引き起こす残酷さに迫っているといえよう。最後の一ページ、農民に捕まったやせこけた犬の首にかけられた一枚の紙の札、“助けてください!”と書いてある。子どもの手で書かれた一枚の紙の札、それは一年半も前のことで、犬は飢え死寸前だった。これが最後の一章である。八十年後に読む私たちに届けられる重さは、現在も続いている理不尽さと無縁ではあるまい


 
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