随筆

 4月号
 

「同仁学院」のこと   青山 和子

 

私が暮らしている町に、児童養護施設「同仁学院」があります。

戦時中、都内から疎開してきた関根幸一郎夫妻が家族とともに定住し、戦災孤児の保護を皮切りに設立しました。その後、家族のなかで暮らせない子どもたちを受け入れ、昭和二十四年には児童養護施設として認可され七十年以上の歳月が経過しました。

現在は孫の歩さんが院長として健闘して三世代に亘る歴史を繋いでいます。

私が関わったのは、地域に開かれた施設という目的で「なかよし文庫」が始まったことからでした。友人と共に、毎週土曜日の午後、本の貸出しやさまざまなイベントに参加することを通じて、少しずつ子どもたちや職員の方たちとも親しくなることが出来ました。

当時の理事長だった関根ヒメさんに、深く学んだことがあります。たまたま、個人的にお話しする機会があったときに言われたことでした。

乳児院を経てやってきた幼児が、職員に対して「てんてー(先生)」と呼びかけてきたのだそうです。そのときヒメさんは、

「ここは学校じゃないのよ。家族なのだから先生はいないの」

と言って、“○○お兄さん”“○○お姉さん”と呼ぶようにしたのだそうです。

それは七十年を経た今も続いていて、職員を先生と呼ぶ子はいません。

これこそが同仁学院の根っこの部分であり、家庭的な養育を支えているのでしょう。施設という枠を超えて繋がっている温かさが、地域のなかにもしっかりと受け止められていると感じます。

一人一人異なった環境で育ってきた子どもたちですから、日々暮らしていくなかには、目に見えない大変さ、困難さは、数えきれないほどあります。それらを一つずつクリアーしていくことによって、次の一歩を踏み出せると信じながら、ささやかなお手伝いがしていければと思うこと頻りです。

巣立っていった子どもたちのなかには、大工さんになって建物の修理に来てくれる子(といっても、もう四十代後半)もいるとのことです。

コロナ禍で今年は出来ませんでしたが、毎年二月に開かれる“まゆ玉会”には、卒院した子どもたちも訪ねてきます。いくつになっても帰る場所なのでしょう。

昨年からは、乳児院「さまりあ」も併設されました。

「同仁」というのは、誰でも等しく幸せにという意味がこめられているのだそうです。

自分の暮らす地域に「同仁学院」が存在しているということの意義を改めて噛みしめながら、これからも伴走していきたいとう日々です。

 

 3月号

「未来図」  辻 邦

 子供の頃、私の未来は、晴れ渡った青空のように、限りなく広がっていた。

 雑誌「小学三年生」のグラビアには、ニューヨークのエンパイアステートビルのようなビルが立ち並び、そのビルをつなぐように幾重にも道路が重なって走り、地下にも街が出来ていて、電車が走っている色鮮やかな近未来都市の図が載っていた。

 あれから67年。私は、未来に生き、未来都市に住んでいる。

 私が住んでいる辺りは、昔とあまり変わりのない住宅街だが、立ち並ぶ家はそれぞれ未来の機能を備えている。食品の保存は冷蔵庫。掃除は電気掃除機。洗濯は全自動洗濯機。家に居て映画が見られるし、食べたいときにアイスクリームも食べられる。電話の普及どころか、遠く離れた友人と顔を見て話せる。そしてその機能を持ち運べる携帯電話が当たり前。想像を超えた未来の世界に住んでいる。

 快適で便利で感謝している。

 だが…。

 今、未来図を描くとしたらどんな世界が広がるのか。

 空気は汚染され、温暖化で海水面が上がり、様々なウイルスが世界をパンデミックに陥れ、ロボットの助けなしには暮らせない危険な世界?

 人間は環境を調整できるように街に覆いをかぶせ、水耕栽培の野菜を食べ、バーチャルな経験を楽しみ、作り物の犬を飼うの?

 私の孫たちが生きる未来をどんなものにしてあげられるのか、もっと早くから考えてあげればよかった。想像力が無かった。


       
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