生田 きよみ の棚   読み切り
  
ハルさんの温室」 

五年生になってクラス替えがあった。真由は一組の廊下を通る時、若菜の姿を見ようと教室をのぞいた。教室の後ろに女子が四、五人かたまっていた。その輪のなかに若菜がいた。おしゃべりに夢中のようだ。あけ放たれた入り口や窓から、廊下に声が響く。真由はしばらく廊下に立っていたが若菜は気づくふうもない。真由はにぎやかな笑い声をあとに階段を下り昇降口から、外へ出た。

 校庭を通り抜ける時真由の肩に桜の花びらがはらはらと舞落ちた。見上げると、真っ青な空に満開の桜が咲き誇っていた。下から見るとピンクではなく白っぽく輝きがなかった。

 校門を出てゆっくり歩く。つまらないと真由は思った。

(一年の時からいつも一緒に帰ったのに・・・・)

 若菜は明るくて、いつもクラスの人気者だった。若菜のまわりにはいつのまにか女子が集まってきた。でも真由は気後れして若菜のそばにいけなかった。そんな真由に若菜は声をかけて友達の輪の中にいれた。そして、真由も友達のおしゃべりに耳を傾け笑ったりした。自分から話かけようと思うのだが真由はできない。そんな自分がはがゆかった。

 少し歩くと細い道の両側には畑が広がっていた。三十センチほどのびたそら豆の緑の葉っぱからうす紫色の花が咲いている。空にはひばりがさえずりながら忙しく飛んでいた。ぼうっと歩いているといつもと違う小道にきていた。

(いやだ、なにやってるのだろ)

小道の奥に小さなビニールハウスがあった。ビニールの中に赤や黄色の色がにじんで見えた。緑の野菜ではなさそうだった。

(なんだろう?)

真由はビニールハウスに近づいていった。ビニールを支える針金もおれている箇所もある。また、おおいのビニールはたるみ、小さな穴も空いている。野菜を育てている農家のビニールハウスとおおちがいだった。ハウスの前に一鉢の花が置いてあった。直径三センチほどの濃い紫色の小花がぎっしりと植えられ、花々が鉢からはみだすように咲きこぼれている。

 真由はすきとおるような紫にみとれた。その時、突然、ビニールハウスの入り口から女の人が出てきた。真由と目が合う。その人は一瞬、驚いたように目をみはり、真由を見た。その人は大きく息をしてから、紫の花の鉢を指さして言った。低い声だった。

「この鉢、温室の中に運んでくれると助かるんだけど。ちょっと、腰を痛めているの」

 真由は女の人を助けてあげなくてはと思った。

「あ、はい」

 返事をしながら鉢を持ち上げた。あまりの重さによろけそうになる。

「こっち、こっち。入って」

 真由は女の人に言われた通り、温室に入った。ピンク、赤、白、紫、黄色・・・鮮やかな色が真由の目にわっと飛び込んできた。台の上にはたくさんの鉢が置いてあり、色とりどりの花が咲いていた。三十鉢ほどあったろうか。

「ありがと、ここに置いて」

 女の人は木でできた台を指さす。真由は鉢を置くと、女の人を見た。紺色の割烹着、細身のジーンズ。真っ直ぐな髪をうしろで一つにむすんでいた。つやつやと日焼けした顔に大きな目。お母さんと同じくらいの歳だと真由は思った。

「私はハルよ。あなたの名前は?」

「まゆ」

「そう、まゆちゃんか、いい名前だねえ・・・」

ハルさんは真由から目をそらすと、温室の鉢を手でさしながら早口で言った。

「この花の名前はプリムラ。あれはサイネリア。むこうのはハナカンザシ、あっちはワスレナグサ。わたしの子どもはかなで」

 ハルさんは言い終わるとまた真由を見つめた。知らない人としゃべってはいけない。学校でも家でもいつもいわれていることを思い出す。ハルさんの大きな目にすいこまれそうになる。

「あの、帰ります」

「また明日手伝ってくれる?ほんの五分でいいから。そしたらう助かるわ。温室に来て。ここはビニールハウスでなく温室なの。ビニールハウスじゃ夢がないでしょ。あ、ちょっと待って」

 ハルさんはぱっぱと温室の奥にかけていくと、大きな植木鉢から伸びていたバラを一輪ハサミで切り取ると、真由に渡した。

「まゆちゃんはクリーム色がとてもよく似合うわ。まるで、バラの精みたいよ。じゃ、明日、よろしくね。今日は本当にありがとう」

 ハルさんは出口まで送ってくれて、子どもみたいに大きく手をふった。

 小道をつっきるといつもの道にでた。

(なんだ、いつもの道から一筋脇に入った道だったんだ。だけど、こんな温室あったけ?)

真由はバラの花を持って歩く。ちょっと不思議な人だったが、悪い人ではないような気がした。

(あんなにきれいなお花を作っている人だもの。それに手伝ってあげた。わたし、いいことをしたんだよね)

真由は自分を納得させる。若菜と帰れなかったさびしさがうすらいでいた。

 

 翌日も若菜は女子に囲まれておしゃべりに夢中だった。真由は業間休みにとなりの教室へ行き、若菜に昨日のことを話したかったが、つまらないことのように思えてやめた。

 まだ給食が始まらないので昼前に帰った。ハルさんの温室へ行こうか迷ったがやはり来てしまった。どこで見ていたのか、ハルさんが温室の中からすっと出て来た。

「やっぱり来てくれた。ああ、うれしい。さあ、真由ちゃん、手伝って」

 ハルさんは真由の手をとると温室に入った。暑いくらいのもわーっとした庫内。色とりどりの花々。外とは別世界のようだった。真由の体が暖かくなる。ほんわかした気分になってくる。

 ハルさんは真由にテキパキと仕事をいいつけた。鉢の水やり、枯れた花の摘み取りなど。無心に体を動かしていると、気持ちが晴れ晴れとしてきた。ハルさんは観葉植物の剪定や肥料をやったりした。三十分くらい働くと、ハルさんが言った。

「ありがとう。お茶にしようか」

 小さな木のテーブルの上にマグカップをならべ、ポットからお茶を注ぐ。椅子にすわって二人であつあつのお茶を飲んだ。お茶はほんのり甘くてフルーツの香りがした。ハルさんのマグカップは白地に緑色のつる草が、真由のは黄色いスイトピーと女の子の絵。同じ人が描いた絵のようだった。

 ハルさんは真由のマグカップをじっと見つめながら歌うように話しだす。

「それはね、かなでが使ってたカップだよ。奏と書いてかなでと読むの」

「かなでちゃんて女の子ですか、おばさんの子ども?」

「そうなの。可愛い子でねえ、天使みたいな子」

 ハルさんはうっとりとした目で真由を見た。

 真由は少し気味が悪くなる。

(自分の子どものカップをわたしが使うなんて)

「あの、わたし、帰らなきゃ」

 真由はカップを置くと立ち上がった。

「あら、もう少しいいじゃない?ゆっくり話がしたいもの」

 ハルさんは引き留めたけど、真由はランドセルを背負って、温室の外にでた。外の空気が気持ちよかった。

「また、明日ね。待ってるからね」

 ハルさんは目を細めて手をふった。

 真由は鍵を開けて家に入る。お母さんは三時までの仕事だからまだ帰ってなかった。台所のテーブルの上にお弁当が置いてあった。自分の部屋へ行き、ランドセルを下ろす。机の上に昨日、ハルさんからもらった黄色いバラがコップに飾ってあった。

 手を洗うと、お弁当箱のふたを開けた。卵焼き、ウインナー、ブロッコリー、ミニトマト、ゆかりのふりかけがかかったご飯。麦茶を冷蔵庫から出して、お昼を食べる。一人で食べるご飯はやっぱりさびしいと真由は思った。明日から給食が始まる。ほっとした。

 

次の日の帰り、若菜の教室をのぞいた。若菜がちらとこちらを見たような気がしたが真由はわざとまっすぐ前を見て廊下を歩いた。

(若菜とはこういうふうにだんだん遠ざかっていくのかなあ)

 あきらめとさびしさを振り払うように足早に歩く。そしてやっぱり温室まできてしまった。ハルさんに会って、給食が始まったからもう手伝えないとはっきり言ったほうがいいような気がした。その時、ハルさんが温室から出てきて真由の左手をつかんだ。力が強くて真由は転びそうになる。

「ずいぶん遅かったねえ、ずっと待ってたのよ。さあ、入って、かなで」

 ハルさんは目を見開いた。その目がピカッとひかる。真由はこわくなった。

(昨日のハルさんと違う。わたしはかなでじゃない)

 真由はハルさんの手をふりほどこうと足をふんばった。

「さあ、おいで、温室にお入り」

「いや、いや」

 真由は大声を出した。出したつもりだったが声は喉の奥にひっかかってかすれ声になった。と、右手をだれかにつかまれた。ハルさんより強い力で。

 左手がすっと離された。真由はハルさんを見た。ハルさんは青い顔をしてくちびるを震わせていた。

真由は右手をつかまれたまま走った。そら豆畑まできて二人は立ち止まった。右手をつかんでいたのは若菜だった。

「ごめん、痛かった?」

 真由は首を横に振る。胸に言葉のかたまりが渦巻いているのに、なにも出てこない。ただ若菜を見つめるばかり。

「あのね、真由、クラス別になったけどさ、一緒に帰ろうよ。うちの担任、帰りの会が長いんだ。ったく、やになるよ。真由、帰る時、声かけてくれればいいのに。すっと帰るんだもん。今日は心配で追いかけてきたの」

(だって、若菜はいつも他の友達と楽しそうにしゃべっているから、声かけられなくて)

 真由は言葉を飲み込んだ。すると、若菜は真由の心がわかったように言った。

「相変わらずだねえ。おーい、帰るよっていえばいいのに」

 真由は涙が出そうになった。

「さっきのおばさん、だれ?」

 真由が力なく首をふると、若菜が顔をぐっと近づけた。

「無理やりビニールハウスの中に入れられそうになってた。危ない、危ない」

 真由は歩きながら、今までのことを全部話した。若菜は心配そうな顔をしたり、太い眉をつりあげて怒ったり、最後まで聞いてくれた。

「明日からしばらくは一緒に帰ろうね」

 真由は大きくうなずいた。

                         

 

 一週間、真由は若菜と帰った。ハルさんのことが思いだされたが温室には行かなかった。

 その次の日、真由がふと、小道の奥を見ると、ハルさんの温室の前に軽トラックがとまっていた。トラックの上にずらりと花の鉢が並んでいた。どうしたのか気になって、若菜を見た。

「行ってみよう。あのおばさんかもよ」

 温室に行くと、知らない女の人が出てきて、真由の顔をまじまじと見つめた。

「もしかして、あなた、姉がこわがらせた子?ほんと、かなでちゃんにそっくり。あ、わたしはハルの妹です。本当にごめんなさいね。こわかったでしょう」

「はい、ちょっとこわかったです。あ、わたしは若菜といって、真由の友達です」

「やっぱり・・・・。ごめんなさいね。話す時間ある?すぐすむから。わたしもこれから五軒の花屋へこの鉢を運ばなくてはいけないから。温室に入って」

 ハルさんの妹が言った。

温室には鉢がひとつもなく、がらんとしていた。三人で椅子にすわった。先日、ハルさんとお茶を飲んだテーブルがあった。

「姉と二人で細々とこの温室で花を育てていたのよ。春用の花だけね。三年前、姉の娘、かなでが病気で亡くなったの。それから姉は心が不安定になってね。でも、去年の秋から少しずつ元気になって、ポットに種を植えて芽が出て大きくなると、大きな鉢に植え替えてきれいな花を育てて今日になったの。十日ほど前、すごく興奮して帰ってきた。かなでにそっくりな子に会ったって。ようし、これから頑張るぞなんてね、はりきっちゃってさ。それから三日後、えらく落ち込んで寝こんでしまったの。でも、少しずつ元気になってるから安心して。こうしてだんだん良くなっていくんだと思う。今年の花は終わるけど、また来年は花を育てるわ。姉一人でなく、わたしも必ず一緒にくることにするから。あなたたちもまたのぞいてみて」

 ハルさんの妹はにっこり笑うと、温室の外に出て軽トラに乗りこんだ。

 軽トラが走り出す。色とりどりの花々がバイバイするように揺れた。

 若菜が大きく手を振る。真由は両手を振りながら大きな声で言った。

「ハルさ~ん、また手伝うから。きれいな花見せてね


       
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