『ある老年』
乾孝 思想の科学社(1992年)
ページを開く前、多少の逡巡があった。心理学者の文章だから、難解な専門用語がちりばめられているのではないかと思ったのである。しかし、それは当方の一方的な思い込みだった。
あたりまえの日常生活がユーモラスな筆致で綴られていて、時に笑いを誘いながら、戦前から戦中、戦後を生きてきた等身大の著者の立ち姿が文中に垣間見える。
保問研(保育問題研究会)との関わりも随所で語られていて、在野の学者として生きてきた著者の足跡が、読み進むほどに胸に落ちてくる。
世の中に溢れている<血液型と性格>について触れた部分に、印象的な一文があったので、引用して紹介したい。
私は近年、女子の学生たちに、せめて、血液型の説はインチキだということ、人間の女性には母性本能なんかないこと(親子愛は文化なのだ)、そして人間の言葉は相談するためにあるので命令は悪用だという、この三つだけ覚えていってくれと懇願する。
親子愛は文化だということを、こんなに直截に語っている著者に出会えたことを幸運に思う。
文章と共に添えられた著者のイラストが素朴な楽しさを付け加えている。
この著者による『ある幼年』『ある少年』『ある青年』『或ル兵隊』『ある戦後』『信頼の構造』(以上・思想の科学社)も、遅ればせながら読んでみたいとおもったことだった。
|