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「ツタの家」 5月26日 |
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(その1) チ、チ、チッ、ピッ、ピ、ピルリ 小鳥のさえずりでユウヤは目がさめた。腰高の窓から明るい光がさしこんでいる。昨夜、おそ ろしい声を聞いたことがうそのような気がした。 その声と音は10分くらいだったかもしれない。しかし、ユウヤにはとてつもなく長い時間に 思われた。そのあと眠ったが頭がぼんやりしている。ネコはあの声をきいたんだろうか。ユウヤ はそっと歩いて、ダンボール箱をのぞいた。 黒い親ネコは子ネコに乳を飲ませていた。ユウヤを威嚇するように目を光らせて警戒してい る。子ネコは、白と黒のブチ、まっ黒、手足だけが白で体は黒の3匹だ。 子ネコたちは横たわった母親のおなかに頭 をもぐりこませ、無心に乳を飲んでいる。ふと、ユウヤは母を思った。 (かあさんは、いつのまにかわってしまったのだろう。とうさんが単身赴任してからか) 親ネコが起き上がり、ユウヤにむかって、うなった。ユウヤはおくの流し場にいった。 蛇口をひねってみた。はじめ、ゴボゴボとへんな音がしていたがしばらくすると、水がいきお いよく流れはじめた。ユウヤは顔を洗い、口をゆすぐ。 食器棚もある。皿をだして、水をいれ、ネコに持っていった。ダンボールの中はすでに空。親 ネコはどこかに子ネコをかくしたにちがいない。ネコは皿の水を見てもなめようとはしない。ユ ウヤが皿からはなれると、やっと、皿に近づき、水をなめた。 やがてネコは玄関のわずかなすきまから、外へ出ていった。ユウヤはおなかがすいていた。デ イパックのなかから、スナック菓子をだして食べた。ペットボトルのお茶も飲んだ。 ユウヤは部屋の中をあるきまわった。子ネコはどこにかくれているのか泣き声ひとつもらさな かった。 (ゆうべの声はどこからだろう。だれがすんでいるのだろう) キッチンのもっとおくに二階にいく階段があった。階段は古い木でできていて、ほこりが厚く つもっている。2階にも窓があるらしく光がおりてくる。ユウヤは息をひそめて2階を見上げ る。階段の下からではなにも見えない。物音ひとつしない。 おそろしい気がしたが、2階に上がって、昨夜の声の主を確かめてみたい。それは、ユウヤの心 深くにつきささっている。ユウヤは手すりに手をかけた。しばらく迷っていたが、手を離し、 キッチンのすみにうずくまった。 (ぼくは、ここでなにしてるんだろう。ただ、ただ、家から出たくて、すべてから逃れたく て、楽になりたくて、きたのに。顔を洗ったり、お菓子を食べたり。なにやってんだ) ユウヤは深いため息をついた。そのとき、玄関のドアがきしむ音がした。 |
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(その2) ユウヤは足音をしのばせて玄関へ行った。ドアの外から声が聞こえた。 「なんだ、この葉っぱは。ドアに巻きついて、あかねえじゃん」 「気味悪りいな。こんな家やめようぜ。ここらへんは別荘だらけだ。おれたちのねぐらにもっと いいやつさがそうぜ」 「チェ、しけた家だ」 ドアをおもいっきりける音がした。へんなわらい声がしだいに遠ざかる。ユウヤがしばらくそ こにたっていると、またドアが少し動いた。ほんの少しのすきまから黒いネコの手が見えた。ネ コもドアをあけるのに手こづっているのか、なかなかあかない。ユウヤは内側からノブを引っ 張った。 10センチくらいあいたところで、ネコが入ってきた。 「ミイー」 ネコがちいさな声で鳴くと、どこからともなく3匹の子ネコが母ネコめがけて、かけよってき た。母ネコはチラッとユウヤを見上げたが、その場に横になると、さっそく子ネコたちに乳を与 え始めた。 ユウヤはネコたちから1メートルほどはなれたところにしゃがみ、ネコたちの様子をじっと見 ていた。母ネコはユウヤにたいする警戒心をといたのか、目をつむって、乳を飲ませている。 ユウヤはうれしかった。なんだか胸の中に小さな灯がともったような気がした。やがて母ネコ も子ネコたちも眠ってしまった。ユウヤはそっとそこをはなれた。 暗くならないうちに2階へ行きたい。大胆な気持になった。ごくんとツバを飲むと、ユウヤは 階段の手すりに手をかけた。1段、1段ゆっくり上る。そのたびに粉のようなほこりがまいあが る。階段は途中でおれまがり、また続いていた。壁には写真をいれた額が2つ。1枚は、生い茂 るジャングルをバックにした川の写真。もう1枚は水から躍り出た黄金色の魚。大きなかたそう なウロコが全身をおおっている。すごい迫力。バシャと水がはねる音まで聞こえそうな写真だ。 2階にたどりついた。 おどり場のおくに部屋がある。ユウヤは胸の動悸をしずめようと、大きく息をすった。 トン、トン、ノックしてみる。返事はなかった。ユウヤは錆がでているドアノブに手をかける と、内側におした。 かびくさいようなほこりっぽいようなにおいがおしよせる。部屋の中に入る。12畳ほどの大 きな洋室だった。壁にそってベッド、腰高の窓際には、机と椅子。その横に組み立て式の本棚が あった。高校受験にかんする問題集や参考書がずらっと並んでいる。 ベッドはきれいにととのえられ、目覚まし時計は12時をさして止まっていた。机の上には ノートや本が乱雑に置かれていた。写真たてもある。ユウヤは机の前にいった。 |
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(その3) 写真たてにまず、目がいった。一面のススキの原の中に10歳くらいの男の子をまんなかにし てお父さん、お母さんの3人がわらっている。風があるのか、お母さんの長い髪が頬にかかって いる。お父さんは帽子をかぶり、チェックのシャツのうえにウインドブレーカすがた。丸いめが ねの奥にやさしそうな細い目がわらっている。お母さんは白いトレーナー、男の子は黄色いト レーナーを着ている。 とても幸せそうな親子だ。ユウヤは写真から目をそらせた。本がおいてある。
開いたままのノートを手にとる。きちょうめんな字で書いてある。ユウヤは一瞬迷ったが読み はじめた。
ユウヤは、ノートを持つ手がふるえた。うすっぺらなノートなのに、重くて手がしびれそうだ った。ノートを机の上に置く。やっと、息ができた。 ユウヤは机の南側にある腰高の窓に手をかけた。鍵をはずして窓を開けてみる。キシキシと変 な音がしたが、窓は開いた。ツタがもうガラス戸のしたまで上ってきている。 ユウヤが窓を開けたので何本かはちぎれて落ちていた。あと何日でこの窓は、ツタでおおいつ くされるだろうか。窓から下を見下ろすと、1階の壁も窓も玄関の戸もすでにびっしりとツタで おおわれている。 (今読んだノートのとおりになる・・。そしたらぼくはこの家から出られなくなる) ユウヤは再び机の上のノートを手にとって読み始めた。一番始めのページ。
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その4
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(その5) ユウヤはもどかしくノートの次のページをめくった。ない、なにも書いてない。真っ白なペー ジ。次のページも次のページも真っ白だ。 ユウヤはへなへなと椅子に腰をおろす。しばらくの間、なにも書いてないノートに目をこらし た。 (最後まで読まなくてよかった・・・・。もう読みたくない・・・・・) リクという少年が使っていた机と椅子。不思議な気がする。自分がすっと、リクによりそって いくような・・・・・。リクが自分に近づいてくるような・・・・・。ノートに書いてあったこ とがすべて理解できたわけではない。むづかしい漢字やいいまわしがいっぱいあった。それで も、心にズキズキひびいてきた。リクの苦しみや悲しみ、そして叫びが。 ユウヤは机をそっとなでた。リクの息づかいや体温さえも伝わってくるような錯覚におちた。 ユウヤの目から涙がこぼれる。涙の一滴がノートに落ちた。ユウヤはあわててトレーナーの袖で ぬぐう。 ぬぐっても、しみは広がってあきらかにはかの部分とはちがって波打ってみえた。ユウヤはそ の部分をそっと指でなでた。と、ノートから声が聞こえた。 「読んで、読んで、お願いだから」 ユウヤは声にうながされるように、ページを一枚づつていねいにめくっていった。8ページ 目。突然、文字があらわれた。前と同じ筆跡、リクの字だ。ユウヤは再び読み始めた。
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その6
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(その7) リクのノートはそこで終わっていた。ユウヤはまたページをめくっていけばなにか書いてあると 思った。でも、その手を止めた。もう限界だった。疲れと苦しさで頭がわれそうだ。 ユウヤは椅子から立ち上がると、窓を開けた。すごい。朝ここを開けたときよりもっと上まで茎 がはいのぼってきている。ちょうど、窓枠の下で枝わかれして、両腕を広げるようによじ登りどう にかしてガラスにからみつこうとつるを必死でのばしていた。 ユウヤはぞっとして窓のむこうをみる。あまりにちがう景色だった。雑木林の上には一面夕焼け 空が広がっている。魚のような形をした金色の雲ぽっかりと浮かんでいた。 「ピラルクーだ」 ユウヤはリクのパパの写真集を見たいと思った。 おなかがグーとなった。朝からなにも食べていないことに気がつく。 ユウヤは階下へ降りていった。台所で食器棚の開けて食べ物をさがす。缶やタッパーのふたもあ けてみる。なにもない。流しのしたにあったタッパー。もってみると重い。いそいでふたをあけ る。大豆がはいっていた。運のいいことに炒ってあるのかこげめがついていた。 ユウヤは一つ口にいれてみる。くさってはいないようだった。次々口にいれた。豆の味が口の中 に広がる。むちゅうで20粒ほど食べた。そして流し台に行ってコップに水をくんで飲んだ。 ふと気がつくと、ダンボール箱にいた黒ネコがじっとユウヤを見つめている。いり豆をむさぼり 食べているのを見られたんだ。ユウヤはなんだか恥ずかしくなる。黒ネコはユウヤと目があうと、 ごろんと箱に横たわった。そして、子猫たちの体をていねいになめはじめた。 ユウヤはネコたちから少し離れたところにジャンパーをしき、横になった。すごく疲れているの だが頭の芯がさえざえとして眠れない。体の向きを何回も変えてやっと眠りについた。 「ユウヤ、おとうさん、転勤になったんだ。2年生になったばかりなのに悪いな。なあに、新し い学校でまたよい友達がすぐできるさ」 「あなた、せめて2学期がおわるまでここにいてはだめなの?ユウヤがかわいそうよ」 「おかあさん、ぼく、だいじょうぶだよ。おとうさんといっしょに行く」 「やめてよ、やめてよ」 放課後の校庭。赤く色づいた桜の落ち葉の上にたおされて声をあげている。 「転校生のくせに生意気なんだよ。ゲームなんか見せびらかして」 テツオくんの重い体がのしかかる。口の中に枯葉のかけらや砂がはいる。 |
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