28話 シゲルの桜

    
 病院の門をでるとき、あいねえちゃんは桜の木の下で立ち止まり、満開の桜を見上げた。


 「ばあちゃんに桜の花を見せてよかったね。顔がみるみる輝いたでしょ。もうだいじょうぶ、きっと元気になるよ」

 「そうかなあ・・・・・」

 シゲルが気のない返事をすると、あいがシゲルの頭に手をのせた。

 「あなたはいつもそう。クールというか、なに考えてるかわからないときがある。わたしはね、桜の木が家のお守りだって信じてる。シゲルもそう思うでしょ?」

 

そんなこと、とつぜんいわれても・・・。

シゲルにはいいたいことがいっぱいある。

でも、いったらねえちゃんを悲しませるにきまってる。

「お守りってなに?」

 あいは、桜の幹をそっとなでた。

「シゲル、来月から4年生だよね。わからないかなあ。

すごくつらい時なんかに、元気をくれるものっていうか・・・、

うーん、うまくいえないなあ・・・・・」

 シゲルの頭にぱっと動物図鑑が浮かんだ。トシヤくんにいじめられても、動物図鑑を見たら忘れられる。元気がでる。

 もう何百回も見ているので、動物の名前は全部覚えた。一番すきなのは、哺乳類食肉目。オオヤマネコ、ジャガー、ライオン、クロヒョウ、ユキヒョウ、アムールトラ、ベンガルトラ・・・・・・。

 世界にこんなたくさんの動物がいるなんて。動物だけじゃない。鳥、魚、昆虫。数え切れないほどの生き物がいる。すごい。すごすぎる。いやなことがあると、シゲルはチーターになって、アフリカの草原を全速力でかける想像をする。そしたら胸がすっとして、意地悪なトシヤくんのことだって、がまんできる。

 桜の花はきれいだなと思う。だけど、それだけ。なんでばあちゃんやねえちゃんが、お守りだのなんのっていうのかさっぱりわからない。
ばあちゃんは、シゲルにもよく話してくれた。「おかあの桜」の話を。でも、ふーん、って思うだけ。「さるかに」や「おむすびころりん」とかの昔話を聞くのとおなじ。

 かあさんは死ぬ少し前、シゲルにいった。

 「あいはだいじょうぶだけど、あなたのことだけが心配。ねえ、シゲルの宝ものってなあに?」

 「動物図鑑」

 「ああ、2歳の誕生日のプレゼントにかってあげたあれね」

 かあさんは、色のうすいくちびるをあけて、ほほえんだ。

 「そうか、動物園の飼育係、獣医さん、動物写真家、ペット屋さん、サファリパーク・・・。いっぱいなれるね。ああ、うれしいな」

 かあさんは、細い腕をふとんからのばすと、シゲルの頭をなでた。

「シゲル、行こうか」

 ねえちゃんが歩きはじめる。ピンク色の花びらが2人をおいかけるように落ちてくる。

 そして、あいのセーラー服やシゲルのトレーナーにふわりとふわりとまとわりついた。

もくじへ戻る 表紙に戻る