27話 あいの桜

 病院の門をくぐると、満開の桜が目にとびこんできた。先週来たときはまだちらほらとしか咲いていなかったのに。

 あいは、立ち止まって桜の大木を見あげる。

 きっぱりとした青い空。わきあがる雲みたいに枝という枝すべてに咲く桜。

 制服の肩にうすいピンクの花びらが落ちる。

 「ねえちゃん、ぼく、ばあちゃんに会いたくないな・・・・・」

 あいは、だまって弟の手をとると、病院の中へはいっていった。

 日当たりのいい部屋にベッドが六つ。

 アイばあちゃんは一番窓際のベッドで寝ていた。白いかけぶとんがほんの少しだけふくらんでいる。

 「ばあちゃん、どう?」

 ばあちゃんは上をむいたまま、ゆっくりと目をあけた。にごった白目の中に茶色の瞳がたよりなく浮かんでいる。

 「あい、シゲル、またきてくれたんか。悪いな。じいさまに早く迎えにきておくれって、頼んでるんやけどな・・」

 「そんなこといわないで、早く元気になって家に帰ってきて」
 
 「あんたたちのお母ちゃんのかわりにこのババが死ねばよかった。なんで、さくらが・・・・」

 木の皮のようなほっぺたを細い涙が伝う。

 去年、入退院をくりかえしていた母が亡くなった。それからアイばあちゃんは変わってしまった。畑で転び、大腿骨

を折ってからは特に。気丈で強いばあちゃんがこんなになってしまうなんて、あいには信じられなかった。

 「ばあちゃん、桜が満開だよ。シゲル、すごくきれいだったよね」

 シゲルもうなづく。

 「さ・く・ら」

 アイばあちゃんはつぶやくと小さな目をしばたたかせた。
 
 「おかあの桜の話、よく聞かせてくれたでしょ。ばあちゃんのお守りの木でしょ。桜は」
 
 アイばあちゃんは古い記憶をたぐりよせるように、天井を見つめた。

 「お守りの木か・・・・、だけど、さくらと名づけたあんたたちの母親を死なせてしまった」

 「ちがうよ、ばあちゃん。かあさんはずっと病気だったもの。だけど、わたしたちを生んでくれたじゃない。やっぱ

り桜はうちのお守り。わたしは信じるよ」
 
 かあさんはもういない。ばあちゃんまでいなくなったら、どうしていいかわからない。あいは必死だった。

 「わたしにあいって名前をつけたのはかあさんだよ。アイばあちゃんみたいにしっかり者になるようにって。ばあ

ちゃんがへこたれたら、かあさん、きっと悲しむ。さあ、桜を見にいこう」

 あいは、ばあちゃんのかけぶとんをそっとめくる。

 シゲルが車椅子を運んできた。

 ばあちゃんを車椅子にのせて、あいは、ゆっくりと廊下を歩く。

 桜はもうすぐそこだ。

もくじへ戻る 表紙に戻る