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おすすめ11 『三十五年前の話』(4)蛙 筑波といえば蛙です。歌にもあるような四六の蟇。七月ともなれば、田んぼ道を歩 けば、そちらでもこちらでもグワッ、グワッ、ゲコゲコという蛙の鳴き声が四方八方から聞こえ てきます。 夫は蛙が苦手でした。 小さな雨蛙がいても、遠回りして避けてくるほどです。職場のボーリング場からの帰り道、広 い道路を渡ると、家まではほとんど田んぼ道でした。 「早く秋にならないかなあ。この辺の蛙は人間よりいばっているんだよな。ぼくが歩いていて も、知らん顔でピョコピョコ道にいるんだよ」 「仕方がないでしょ、ここは筑波なんだから。蛙が主役なのよ。ほら、ダーク・ダックスの歌に もあるじゃない、<筑波山麓・男声合唱団>って」 情けない顔をしている夫の顔を見ながら、わたしは笑っていいました。 実は、私も蛙はあまり好きではありません。でも、身長178センチの夫が、蛙を見るたびに ビクビクしているのを見ると、ついつい笑えてくるのでした。 ある日、夕方になってお風呂をわかすために、焚口に降りたとき(五右衛門風呂は、壁を隔て て、火を焚くところが一段低くなっていました)、そこに大きな蟇蛙がのっそりと座っていたの です。 「ヒャーッ」と言ったのか「キャーッ」と言ったのか、とにかく私は大きな悲鳴をあげて、焚 口から逃げ出していました。息子を抱っこして庭先にいたおばあさんが、 「どうした?そったら声さ出して」 と、心配そうに私を見ています。 「おおきな蛙があそこにいたんです」 私が、こわごわ指差すほうを見て、おばあさんは 「どれどれ」 と、息子を私に返すと、お風呂の焚口を見に行きました。 「これかや、きっとここが温とかったから、一休みしていたんだっぺや」 おばあさんは、蛙の後ろ足を持ってぶらぶらと揺すっています。 「でっかいなや。これじゃ大ちゃんのお父さんは腰ぬかすっぺ。人さわがせなやつだなあ。さ あ、向こうへ行ってろ」 おばあさんは、ぶらさげた蛙を近くの川まで持っていくとポーンと水のなかに投げ入れました。 まだ、胸がドキドキしている私に、おばあさんは笑いながら言います。 「なんだ、あんたも蛙がだめだったかや。いんがなこった。それにしても、でかい声だったこ と。アハハハ」
それから何日間か、近所の人に出会うと、誰もがちょっと気の毒そうに、それでいて面白そう に、 「オヒキにおどかされたんだってなあ。ここに住んだら、慣れるしかなかっぺよ」 と、口々に話しかけてくるのでした。 私のとてつもない悲鳴は、それから何日間か近所の人たちの茶飲み話に登場して、おばさんた ちを楽しませたようです。 |