58話 くぅばーたん36「繭の中」

 背中で、サラちゃんが、手足をバタさせて泣いている。下におりたいといっているのだ。

 広子さんは、額にうっすらと汗を浮かべて、せっせと雑巾を持った手を動かした。

 武蔵さんの部屋を掃除している真っ最中。

 「もうちょっとしたら、一休みするからね。それまで、いい子でがまんしてね。

  ヨイヨイヨイ!」

 サラに話しかけながら、お尻を叩いてひとあやし。それから、また、掃除に戻る。

 以前なら、サラがグスンと愚図っても、胃がキュート縮んで、口から飛び指しそうに感じたも

のだ。

 あやす声も切羽詰まっていて、サラを不安にさせたのだろうか、泣き声は大きくなるばかり

だった。

 「ここではね、サラを怒るひとは誰もいないからねー、沢山泣いていいのよ。母ちゃんも、

サラに泣かれても平気になったからね」

 くぅばーたんが、繰り返し教えてくれたのだ。

 「赤ちゃんには、泣くのが運動。お乳を飲んで、沢山泣いて、ぐっすり眠る。それで、大きく

なるのよ。寝る子は育つってね」と。

 「サラも、ここで大きくなるのよ」

 それには、しっかり働いて、早く生活を安定させなければならない。

 「いつまでも、大家さんの好意に甘えてはいられない。立て替えてもらったお金も、早く返さ

なくちゃ。サラも協力してね」

 お母さんのそんな気持ちが通じたのだろうか、サラちゃんは、静かな寝息を立て始めていた。

 広子さんは、サラちゃんをソファーの上に寝かせて、グーンと伸びをした。

 「あー、重かった!大きくなって、こいつめ!」

 そういいながら、そーっとサラにキス。

 「最初から、こうゆう気持ちだったら、哲ちゃんとも上手くやれたかもしれない」

 広子さんは、めそめそ泣いて暮らしていた日を思い出していた。

 子どもが出来たのを切っ掛けに、付き合っていた哲ちゃんと結婚して、仕事も辞めて専業主婦

になった。赤ん坊が居ては働けないと思ったからだ。

 「あたしが仕事辞めたもんだから、生活が苦しくなって」

 いつもお金の事で言い合いになった。

 「サラをおぶって働く覚悟が有れば……」

 と、思いかけて、広子さんは頭を振った。

 たとえ自分が働いていたとしても、その分のお金は、あいつが、酒とバクチに使っていただろ

うと思い直したのだ。

 「サラ、ここは安全だからね。ずーと、ここに居るからね。頑張るよ」

 自分たち親子がここにたどり着いたのは、奇跡としか思えなかった。

 くぅばーたんと偶然会って、助けてもらった、あの日。

 「でも、なぜ?大家さんは、あそこに?」

 奇跡は、不思議。まるで、魔法のように。